社会人になって、初めて自分のお金で買う高額な家電。
それは、単なる道具ではなく、「これからの自分」を象徴する存在でもありました。
私にとって、その一台がビデオデッキでした。
そして、その選択は当時の若者にとって避けて通れない、
「ベータか、VHSか」という究極の二択だったのです。

規格争いが生まれた時代背景と、その行方
今でこそ「なぜ規格を一つにしなかったのか?」と思ってしまいますが、
昭和50年代当時、家庭用ビデオはまったく新しい分野でした。
「テレビ番組を家庭で録画する」という文化そのものが始まったばかりで、
正解が誰にも分からない状態だったのです。
そもそも、なぜ2つの規格が生まれたのか
当時の家電メーカーは、それぞれ異なる理想を持っていました。
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ソニーは
→ 「高画質・高音質こそ正義」 -
松下(現パナソニック)陣営は
→ 「長時間録れて、誰でも使えることが正義」
つまり、
ベータとVHSは「性能の優劣」以前に、
目指していた家庭像が違っていたのです。
ベータが描いていた未来
ソニーがベータに込めた思想は明快でした。
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テレビは「映像文化の中心」
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映画や音楽と同じように、美しく記録されるべきもの
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多少テープが高くても、画質が良いほうが価値がある
そのためベータは、
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テープが小型で扱いやすく
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映像は確かに美しく
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機械としての完成度も高い
まさに 「通好みの選択」 だったのです。
VHSがつかんだ「家庭の現実」
一方、VHS陣営が見ていたのは、もっと生活寄りの現実でした。
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映画1本を途中で切らずに録りたい
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スポーツ中継を最後まで録画したい
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家族みんなが難しい操作なしで使いたい
その答えが「長時間録画」でした。
多少画質が劣っても、
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2時間、3時間録れる
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テープが安い
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他社も参加しやすい規格
結果として、VHSは一気に普及していきます。
勝敗を決めたのは「レンタルビデオ店」だった
決定打になったのは、技術ではなく流通でした。
レンタルビデオ店が増え始めると、
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店側は在庫管理がしやすい規格を選ぶ
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利用者が多いVHSが棚を占領する
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ベータは「置いていない」存在になる
こうして、
「良いもの」より「多いもの」
「美しいもの」より「使われるもの」
が勝つ流れが完成していきました。
規格争いが教えてくれたこと
ベータは技術的に劣っていたわけではありません。
むしろ、「理想が高すぎた」のかもしれません。
家庭用ビデオは、
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専門家のための機械ではなく
-
生活の中で使われる道具だった
その現実を、VHSは正確に掴んでいました。
だからこそこの規格争いは、
「技術の敗北」ではなく「価値観の違いの結末」だったと言えるのです。
社会人一年目、初めての“本気の買い物”
一人暮らしを始めたばかりの部屋。
最低限の家具と、テレビだけが置かれた空間に、
「次は何を置くか」を考える時間は、何よりも楽しいものでした。
当時、「テレビを録画できる」という行為は、まさに魔法でした。
見たい番組を、好きな時間に、何度でも観られる。
その魔法を、どうせなら最高の画質で味わいたい。
そう考えた私は、迷うことなくソニーのベータ方式に心を決めました。
「画質がキレイ」という、揺るがない正義
当時のカタログや雑誌レビューには、はっきりと書かれていました。
「色の再現性」「映像の繊細さ」「解像感」。
どの記事を読んでも、
画質はベータの方が上
という評価が並んでいたのです。
ソニーのロゴに対する信頼もありました。
ラジカセ、テレビ、オーディオ。
どれも「良いものを作る会社」という印象が強く、
「映像だって間違いない」と確信していました。
VHS派の友人には、
「ベータは色が違うんだよ」
などと、少し得意げに語っていたのを覚えています。
自分の部屋に置かれた、ソニーのベータデッキ。
それは、社会人としての最初の誇りでした。
忍び寄る、レンタルビデオ店の現実
ところが、その誇りは、
ある場所で少しずつ削られていきます。
レンタルビデオ店です。
ビデオレンタル文化が一気に広がり、
棚いっぱいに並ぶ映画ソフト。
その光景は、夢のようでした。
しかし、よく見ると違和感がありました。
新作コーナーの大半が、VHSだったのです。
ベータは、あっても棚の隅。
時には「取り扱いなし」という札まで目にするようになります。
画質では勝っているはずなのに。
技術的には優れているはずなのに。
世の中は、
「長時間録画できる」
「安く作れる」
という理由で、VHSを選んでいきました。
その現実を、私はレンタル店の棚の前で突きつけられました。
孤高のベータ機と過ごした夜
互換性のない孤独は、確かにありました。
借りたい映画が借りられない。
人とテープを貸し借りできない。
それでも、自分で録画した番組を再生した時、
あの映像の美しさだけは、私を裏切りませんでした。
発色の良さ。
輪郭のくっきり感。
夜景や映画の暗部の深さ。
「やっぱり、いい映像だな」
そう思いながら、ベータのカセットをデッキに差し込む時間は、
今でも記憶に残っています。
結果として、ベータは市場から姿を消しました。
私もやがてVHSへと乗り換えます。
それでも、
あのコンパクトで重厚なベータのカセットには、
量より質を選んだ男のロマンが確かに詰まっていました。

技術が勝つとは限らないという現実
今は、スマートフォン一つで映画を観る時代です。
画質も音質も、比べものにならないほど進化しました。
けれど、
「どの規格を選ぶか」
「どこに価値を置くか」
を、あれほど真剣に悩んだ経験は、今ではなかなかありません。
技術的に優れているものが、必ずしも勝つわけではない。
普及率、価格、使いやすさ。
時代は、必ずしも“正解”を選ぶとは限らないのです。
それでも、あの時ベータを選んだ自分を、私は嫌いではありません。
まとめ:ベータは消えた。でも、こだわりは残った
ベータという規格は消えました。
けれど、
「どうせなら良いものを選びたい」
「本質で判断したい」
という感覚は、今も自分の中に残っています。
一方で、少数派を応援したいという自分のこだわりがあったのだと思います。
ベータは負けました。
でも、あの時の“選んだ理由”まで負けたわけではない。
そう思える今だからこそ、
「ベータか、VHSか」という問いは、
単なる家電の話以上の意味を持って、胸に残っているのです。
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