録音ボタンを押す瞬間、部屋の空気が止まりました
お気に入りのテレビ番組が始まる前。
私はラジカセをそっとテレビの前へ運びました。
スピーカーの近くに、本体の内蔵マイクを向ける。
家族の気配に耳を澄ませながら、心の中では何度も念じます。
「静かにしてくれ」
「誰も来ないでくれ」
そして、録音ボタンとポーズボタンに指をかける。
番組が始まった瞬間――
ガチャッ。
あの録音ボタンを押し込む感触。
今でも、指先が覚えている気がします。
失敗は許されない。
やり直しもきかない。
だからこそ、あの一瞬には、今では考えられないほどの緊張感がありました。

後で再生してみると、
「あれ? ちゃんと録れてるかなぁ……」
という不安そうな小さな声と息づかいが、そのまま録音されていたりしました(笑)。
ラジカセとは何だったのか
今の若い人には少し説明が必要かもしれません。
ラジカセとは、ラジオとカセットテープレコーダーが一体になった音響機器です。
音楽を聴くだけでなく、ラジオを録音したり、レコードをダビングしたり、自分の声を吹き込んだりもできる、昭和の音の中心でした。

私たちにとってラジカセは、ただ音を鳴らす機械ではありません。
好きな音を逃さず自分のものにするための、魔法の箱でもあったのです。
ビデオは高嶺の花、だから音だけでも残したかった
当時、ビデオデッキはまだ遠い存在でした。
世の中にはあったのかもしれませんが、一般家庭の子どもにとっては簡単に手が届くものではありません。
映像を残すなんて、ほとんど夢の話でした。
だからこそ、せめて音だけでも残したいと思ったのです。
歌番組のお気に入りの曲。
アニメの主題歌。
未来少年コナンの最終回。
テレビの向こうにある世界を、ラジカセは「音」という形で、自分の部屋まで運んできてくれました。
深夜ラジオとラジカセ ― 静かな夜だけの時間
ラジカセの本領は、深夜にこそありました。
家族が寝静まった夜。
スピーカーから音は出せません。
だからイヤホンをそっと耳に差し込みます。
片耳で聴いたり、コードを気にしながら体勢を工夫したり。
不便なのに、不思議と不満はありませんでした。
なぜなら、深夜ラジオは音さえ届けば十分だったからです。
「オールナイトニッポン」
好きなパーソナリティのトーク。
突然流れる名曲。
翌日、同級生とその話をする時間もまた、楽しみの一つでした。
レコードからカセットへ ― 手間の中にあった楽しさ
ラジカセは録音だけでなく、ダビングの楽しみもありました。
EPレコードを買い、プレーヤーに乗せて針を落とす。
プツッ。
あの小さなノイズごと、音楽をカセットに録り込む。
A面が終わればテープを裏返す。
音は少しずつ劣化していきますが、それでも構わない。
むしろそれが、自分だけの音として愛着になっていきました。
巻き戻しの音と、時間の感覚
カセットテープには「頭出し」がありません。
聴きたい場所を探すために、早送りして、巻き戻す。
キュルキュルキュル……
あの音は、まるで時間そのものを巻き戻しているようでした。
「テープが擦り切れるほど聴いた」曲は何曲もありました。
今のように一瞬で目的の場所へは行けない。
だからこそ、音と向き合う時間が濃かったのかもしれません。
ソニーへのこだわりは、ここから始まっていたのかもしれません
私が使っていたラジカセは、ソニー製でした。
そして後に、自分の給料で初めて買ったビデオデッキも、同じくソニーのベータでした。
どうせなら、少しでも良い音、良い映像で楽しみたい。
そんな気持ちは、この頃からあったのでしょう。
👉 ベータか、VHSか――ソニー派だった私が「画質」にかけた夢と、ビデオ戦争の敗北
まとめ:ラジカセは青春を録る箱だった
今はスマホ一つで、好きな音はすぐに手に入ります。
便利です。
でも、どこか物足りなさも感じます。
あの頃、私たちは音をただ聴いていたのではありません。
音を待ち、
音を狙い、
音を捕まえていたのです。
ラジカセは、音を録る箱であり、
青春を録る箱でもありました。
あの時代、私たちは確かに、音に恋をしていたのだと思います。

