あの「パチン」という音が、学校生活の始まりでした
今でも耳の奥に残っている音があります。
「パチン」
グルービーケースの金具を留める、あの小気味いい音です。
昭和の学生だった方なら、この音に覚えがあるかもしれません。
グルービーケースは、教科書やノートを入れて持ち歩く、当時よく使われていた箱型の学生用ケースでした。
けれど、あれは単なる通学カバンではありませんでした。
ノートを入れ、筆箱を入れ、
そして少し背伸びしたい気持ちまで詰め込む。
そんな、青春の道具でもあったのです。
軽さや機能性とは、あまり縁がありません。
やたらと重く、やたらと頑丈で、それでもなぜか頼もしい。
グルービーケースは、そんな不思議な相棒でした。
★グルービーケースの写真はこの記事の後半に出てきます。
紙なのに、妙に頑丈だったあの箱
グルービーケースは紙でできていました。
もちろん、ただの紙ではありません。
何枚も重ねて加工された硬い紙で、今でいう厚紙よりずっとしっかりした作りです。
今なら「紙が鉄より硬いわけがない」と笑えます。
でも当時の私は、本気でそれに近い感覚を持っていました。
角はなかなか潰れない。
多少乱暴に扱ってもへこたれない。
プラスチックのように簡単には割れず、布のバッグのようにすぐクタクタにもならない。
使い込むほどに角が少し丸くなり、色がくすみ、手に馴染んでくる。
あれは「消耗品」というより、明らかに一緒に時間を過ごす道具でした。
なぜか文房具屋ではなく、本屋に並んでいた
今でも少し不思議に思うことがあります。
なぜグルービーケースは、文房具屋ではなく、
街の本屋に並んでいたのでしょうか。
参考書を買いに行った時、
あるいは雑誌の立ち読みをした帰り、
ふと目に入る色とりどりのグルービーケース。
あれは、ただの学校用品には見えませんでした。
「ちゃんと勉強する人間になりたい」
そんな気持ちを、言葉にせず刺激してくるものがあったのです。
おしゃれなバッグというより、
むしろ“勉強する男の武器庫”といった感じでした。
本屋の少しインクっぽい匂いと、あの紙のケースの感触。
その二つは、今でも記憶の中でセットになっています。
中に入っていたのは、教科書だけではありませんでした
グルービーケースの中身は、教科書やノートだけではありませんでした。
下敷き。
筆箱。
友達から回ってきた手紙。
好きだったアイドルの切り抜き。
誰にも見せない走り書きの歌詞。
そしてたぶん、
自分でもうまく言葉にできなかった不安や焦りのようなものまで、一緒に詰め込んでいた気がします。
重ければ重いほど、
何かをたくさん持っている気がした。
知識も、経験も、自分の中身そのものも増えているような錯覚がありました。
今思えば、あの重みは荷物の重さではなく、
青春そのものの重さだったのかもしれません。
不便だったからこそ、覚悟のようなものがあった
今の学生さんの通学かばんは、とても合理的です。
軽くて、たくさん入って、両手も空く。
それは間違いなく便利で、よくできています。
でも、グルービーケースは違いました。
片手がふさがる。
重い。
持ち替えるのも面倒。
階段では邪魔。
走ればガタガタ鳴る。
正直、不便です。
けれどその不便さが、なぜか
「勉強する覚悟」のようにも感じられたのです。
片手がふさがる。
逃げ道がない。
今日はちゃんと持って帰って、また明日持って行く。
そんな少し大げさな気分が、あの箱には確かにありました。
四十年以上たった今でも、まだ捨てられない理由
驚くことに、あのグルービーケースは、今も壊れていません。

傷は増えました。
色も少しくすみました。
金具の音も、昔ほど元気ではありません。
それでも、不思議と「役目を終えたもの」という感じがしないのです。
捨てられなかった、というより、
まだ役目が終わっていない気がする。
中には、当時使っていた下敷きや日記帳、写真フィルムのネガまで入っています。
修学旅行に持っていった使い捨てカメラのものかもしれません。
そう思うと、あの箱は単なる入れ物ではなく、
触れることのできる記憶の保管庫なのだと思います。
中には当時使っていた下敷き、日記帳、写真フィルムのネガが入れてあります。修学旅行に持っていった「使い捨てカメラ」で撮ったものかも?【使い捨てカメラ】はなぜ生き残ったか — デジタル時代に 「待つ喜び」 を伝える フィルムの魔法
デジタル時代に、あの“厚み”を思う
今は、思い出も知識も、どんどん軽くなりました。
スマホの中に保存できて、失くしにくく、探すのも簡単。
それはとても便利です。
でも、そこには手触りがありません。
グルービーケースには、確かに厚みがありました。
紙の厚み。
中身の重み。
そして、感情の厚み。
簡単には壊れないその頑丈さは、どこか昭和の
「ど根性」のような感覚にも重なります。【絶滅危惧語】消えゆく火の玉言葉「ど根性」 ― ピョン吉が教えてくれた「這い上がる力」の美学
今の時代には今の良さがあります。
それでも時々、ああいう不便で重たい道具の中にしか宿らない感情があったように思うのです。
まとめ
グルービーケースは、単なる収納道具ではありませんでした。
それは、
- 教科書を運ぶ箱であり
- 自分だけの秘密基地であり
- 少し背伸びしたい気持ちの象徴であり(ちょっと勉強ができそうに見える?)
- 当時の自分そのものをしまっておく場所
でもあったのです。
あの箱に入っていたのは、ノートや本だけではありません。
きっと、あの頃の自分の内面そのものだったのだと思います。
もし今もどこかに残っているなら、
一度そっと手に取ってみてください。
金具を留める、あの音。
「パチン」
その音と一緒に、少しだけ昔の自分が戻ってくるかもしれません。
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