「根性」という言葉だけなら、まだ今も耳にします。
けれど、そこに「ど」が付いた瞬間、言葉の温度は一気に跳ね上がります。
ど真ん中。
どアホ。
ど根性。
この「ど」は、日本語における感情のブースターです。
理屈や品の良さを振り切って、「もう後がない」「引くに引けない」という地点まで、人を追い込む力があります。
昭和という時代は、そんな「ど」が似合う時代でした。
そして「ど根性」という言葉は、その熱気を一身に背負った、火の玉のような言葉だったのです。
ピョン吉という「ど根性」の化身
「ど根性」と聞いて、多くの人が思い浮かべるのが
アニメ『ど根性ガエル』のひろしとピョン吉でしょう。

実際のアニメとは違うイメージです。
あらためて考えると、あの設定はかなり異様です。
カエルがシャツに張り付いたまま生きている。
踏まれても、潰されても、平面になっても、なぜか元気。
普通なら「かわいそう」で終わる話です。
でも当時の子どもたちは、そこに強さを見ていました。
なぜ、カエルだったのか
ピョン吉は、ヒーローではありません。
強くもないし、格好よくもない。
それでも、ひろしが弱気になると、必ずこう言います。
「なに言ってんだよ、ひろし!」
あの存在は、もしかすると
当時の日本人が自分の中に飼っていた“もう一人の自分”
だったのではないでしょうか。
くじけそうになった時に、内側から叱りつけてくる声。
「ここで終わるのか?」
「それでいいのか?」
ピョン吉は、
「諦めない心」を視覚化した存在だった。
私たちはシャツに、自分たちの理想の強さを貼り付けていたのかもしれません。
「根性」と「ど根性」は、似て非なるもの
ここで一度、整理してみましょう。
-
根性:耐える力
-
ど根性:這いつくばってでも前に進む力
根性は「我慢」に近い。
でも、ど根性は「生存」に近い。
もう理屈じゃない。
もう損得じゃない。
とにかく生き延びる、やり抜く、立ち上がる。
それが「ど根性」でした。
なぜ「ど根性」は絶滅危惧になったのか
時代は変わりました。
今は
-
タイパ
-
コスパ
-
効率
-
スマートな勝利
が重視される時代です。
「根性論」は、
-
パワハラ
-
非合理
-
精神論
の代名詞として、距離を置かれるようになりました。
それ自体は、間違いではありません。
無理を美徳にして、人を壊してきた歴史も確かにあります。
けれど、ここで一つ問いが浮かびます。
「ここ一番で踏ん張る力」まで、私たちは手放してしまっていないだろうか?
冷めた時代に、泥臭さが光る瞬間
例えば――
すぐ成果が出ない仕事。
誰にも評価されない家事や介護。
途中で投げ出したくなる趣味や挑戦。
効率よくやめることは、簡単です。
でも、それでも続けている人がいます。
理由は説明できない。
割に合わない。
でも、なぜかやめない。
そこにあるのは、ど根性です。
誰に褒められるわけでもなく、
誰かに強制されたわけでもない。
それでも踏ん張る力。
それは昭和の遺物ではなく、今も確かに息づいている力です。
アスファルトに咲く花 ― ど根性は消えていない
数年前、「ど根性大根」が話題になりました。
アスファルトの隙間から、大根が育っていたというニュースです。

言葉としての「ど根性」は、使われなくなりつつあります。
けれど、過酷な環境で生き抜く強さへの憧れは、今も消えていません。
言葉は消えかけても、
「しぶとく生きる」という本能は、
日本人のDNAに刻まれている。
そう思えてなりません。
まとめ:ど根性は、泥臭くて温かいエールだった
「ど根性」という言葉は、
効率では測れない人間の底力を、肯定してくれる言葉でした。
格好悪くてもいい。
遠回りでもいい。
這い上がれ。
そんな、最高に泥臭くて、温かいエール。
――あなたの人生で、
一番の「ど根性」を見せた瞬間は、いつでしたか?
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