「忖度」という言葉が背負わされた重荷
数年前、ある政治的なニュースをきっかけに、日本中で「忖度(そんたく)」という言葉が飛び交いました。
それ以来、この言葉には
「権力者の顔色をうかがう」
「見返りを求めて裏で動く」
といった、どこか後ろ暗いイメージがつきまとうようになってしまいました。

でも、私はこの「忖度」という言葉が、なんだかかわいそうでなりません。
本来は、相手の心情をそっと察するという、とても純粋で温かい日本人の美徳を表す言葉だったはずだからです。
似た温度感の言葉として、「思いやり」と「優しさ」の違いもあわせて押さえておくと、誤解のズレが小さくなります。
漢字に込められた「思いやりの物差し」
「忖度」の成り立ちを紐解くと、その本質が見えてきます。
「忖」のつくりの「寸」は長さを測ることを、「度」は量を図ることを意味します。
つまり、自分の心という物差しで、そっと「相手の心」を測る。それが忖度という言葉のルーツです。
そこには「相手が何を求めているか、言わなくても分かってあげたい」という、深い思いやりが込められているのです。
「忖度」の本来の姿を取り戻すために
政治やニュースの世界で「悪い行為」のように扱われてしまったことで、私たちが誰かを純粋に思って行動しても、
「それって忖度じゃないの?」
と冷ややかに見られてしまう……。
そんな世の中は、少し寂しい気がします。
本来の「忖度」は、こんな風に使われるべき美しい言葉です。
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敗北した選手の気持ちを忖度して、今は静かに見守る。
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相手の不満を忖度し、言われる前に改善策を提案する。
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会議の重苦しい空気を忖度して、明るい話題を振る。
誰かに指示されたからではなく、自分の意志で「あの人のために何ができるか」を考える。
これこそが、言葉が本来持っていた輝きではないでしょうか。似た「思いやり」でも、負担感や伝わり方が変わる例として「気を遣う」と「気を配る」の違いも参考になります。
まとめ:言葉の「本籍地」を忘れない
言葉は時代とともに意味を変えていくものですが、「忖度」に関しては、あまりにもネガティブな方向に一人歩きしすぎてしまったように感じます。
見返りを求めるのではなく、純粋にその人を思いやる。
そんな「心優しい忖度」が、もっと普通に評価される世の中であってほしいものです。
還暦を過ぎ、人間関係の機微に触れることが増えた今だからこそ、私はこの言葉を大切に使いたい。相手の心にそっと寄り添う「心の物差し」として。
次にお会いする誰かのために、私は今日も、いい意味での「忖度」を忘れないようにしたいと思っています。
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