暗い夕方の帰り道。
ハンドルまわりのメーターがぼんやり光り、
カチッ、カチッ──と、点滅するフラッシャーの電子音。
昭和40〜50年代の男子にとって、
これは 「大人の乗り物」=バイクの疑似体験 でした。
当時の電子フラッシャー付き自転車は
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小学生には買ってもらえないほど高価
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持っているだけでヒーロー
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放課後の注目を一身に集めるシンボル
まるで現代の高級スポーツカーのようなステータスだったことを強調します。
構造とギミック “自転車に不要なもの”のオンパレード
当時の電子フラッシャー付き自転車には、
とにかく 「盛り込みすぎた夢」 が詰まっていました。

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巨大な角型ヘッドライト(バイク風)
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メーター風の速度計(実態は飾り)
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左右の電子フラッシャー(ウインカー風)
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擬似シフトレバー(変速とは無関係)
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ボタンやスイッチ類(押すだけで嬉しい)
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立派なリアキャリア
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太めのフレームで近未来デザイン
昭和の技術競争が「派手さ」「豪華さ」に向かった象徴でもあります。
そして何よりも──
フラッシャー(点滅するウインカーのような光)が、少年の心を支配した。

実物とは違うイメージです。
なぜ“ここまで”機能を盛り込んだのか?
ここが最もおいしい部分です。
高度経済成長期は、
「技術は過剰なほどカッコいい」
と信じられていた時代。
メーカー側の心理👇
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子ども向けでも手を抜かない
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とにかく“未来感”を見せたい
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実用性より“夢”を優先
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バイクや車への憧れを取り込む戦略
結果、技術の徒花(あだばな)とも言える、
奇跡のような“過剰設計の自転車”が生まれました。
昭和は「実用性の欠如すら魅力になる時代」だったのです。
絶滅した理由 : 安全・価格・時代の価値観が全て変わった
消滅の背景には多くの理由があります。
安全性の欠如
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フラッシャーが逆に危険(車に誤認される)
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重くて子どもには扱いづらい
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装飾物が壊れやすい
親世代の本音
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「高い」「重い」「危ない」
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実用性ゼロ
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シンプルな自転車の方が良い
- 電池の消費が激しい
子どもの興味の変化
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ゲーム普及によるアウトドア文化の衰退
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“未来感=電子機器”へ移行
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自転車が“移動手段”へと変質
結果、
「親の実用性」 vs 「子どもの夢」
という価値観の衝突が起き、市場から姿を消したのです。
“電子フラッシャー”が残した文化の痕跡
モノは消えましたが、文化は残りました。
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「フラッシャー」の言葉だけ現代に生きる
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子供向け商品に今も残る“誇張ギミック”
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昭和特有の「盛りすぎデザイン」文化として語り継がれる
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大人になってYouTubeで復活動画を見る世代の郷愁
電子フラッシャー付き自転車は
昭和の「夢を詰め込みすぎた美学」そのものでした。
まとめ :少年の夢を乗せた“未来の自転車”は、今も心で光っている
電子フラッシャー付き自転車とは、
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技術の徒花★(あだばな)であり ★咲いても実にならない花
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少年の誇りであり
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時代の熱狂が作り出した“未来の乗り物”だった
「あなたが電子フラッシャー付き自転車で一番自慢したかった機能は何でしたか?」

画像のイメージが当時のものと違います・・・
裕福な友達が乗っているのを見て「カッコいい!」と思いました。
じいちゃんにねだって一番安いのを買ってもらいましたが、
テールランプは単一電池が数本必要でとても不経済だったのを記憶しています。
