昭和の軽口「余裕のよっちゃん」
昭和の時代、私たちは何かに成功したり、物事がうまく運んでいたりするとき、よくこんな言葉を口にしていました。「余裕のよっちゃん」。
今思えば、なんともお気楽な響きです。駄菓子の「よっちゃんイカ」が由来だという説もありますが、子供たちの間では、自分の実力を誇示し、相手を少し煙に巻くような「無敵の呪文」として使われていました。
しかし、この魔法の言葉には、恐ろしい副作用があることを、当時の私はまだ知りませんでした。
楽勝ムードが生んだ「わざと」の代償
中学校の校内球技大会。クラス対抗のバレーボールの試合でした。 私のチームは序盤から大きくリードし、文字通りの楽勝ムード。相手との点差が開くにつれ、私の心の中には「余裕のよっちゃん」という言葉が、不遜な形で頭をもたげてきました。
そして、あろうことか私は、相手のサーブを「わざと」レシーブミスしたのです。 ほんの少しの遊び心、あるいは『これくらい外しても大丈夫だろう』という慢心だったのかもしれません。しかし、スポーツの神様は、その一瞬の不敬を見逃してはくれませんでした。

「ウサギ」が「亀」に追い抜かれる瞬間
その一度のミスをきっかけに、風向きが完全に変わりました。 「あいつはレシーブが乱れている」と見抜かれたのか、相手チームは次々と私を的にしてサーブを打ち込んできたのです。
焦れば焦るほど、体は動かなくなります。ついさっきまで「余裕」だと思っていたはずのボールが、恐ろしい速さで迫ってくる。気づけば一点、また一点と差を詰められ、最後には信じられないような逆転負けを喫してしまいました。
まさに、イソップ童話の「ウサギと亀」のウサギそのものでした。ゴールを目前にして居眠りをしたウサギのように、私は自分の慢心によって、チーム全員の勝利を台無しにしてしまったのです。
消えない痛みと、チームプレーへの苦手意識
試合終了のホイッスルが鳴った後の、あの冷え切った空気。 仲間たちにかける言葉も見つからず、ただただ自分の愚かさが情けなくて、顔を上げることができませんでした。
この一件は、私の心に深い傷を残しました。 「自分のたった一つの過ちが、集団全体を壊してしまう」 その恐怖心から、以来、私はチームプレーに対して強い苦手意識を持つようになりました。
一人で完結する仕事や趣味を好むようになったのは、あの日、体育館の床を見つめながら感じた「申し訳なさ」の反動だったのかもしれません。
「余裕」は、持つものではなく、備えるもの
還暦を過ぎた今、「余裕のよっちゃん」という言葉を思い出すたびに、あの日のバレーボールの感触が蘇ります。
「余裕」とは、人に見せびらかしたり、ふざけて使ったりするものではありません。 本当の余裕とは、最後まで気を引き締め、万が一の事態に備えておく「心の余白」のこと。あの時、私が持っていたのは余裕ではなく、ただの「油断」でした。
「なんだかんだ商店」の店主として、今日も棚を整理しながら自分に言い聞かせます。 「余裕のよっちゃん」なんて、口が裂けても言っちゃいけないよ、と。
皆さんの「知恵の棚」には、どんな苦い教訓が仕舞われていますか?
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