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【昭和のバレンタイン】「Fより」の白い封筒と、時代を超えて届いた贈り物

昭和のバレンタインと謎の「Fより」|消えゆく義理チョコ文化と記憶の答え合わせ 【一、思い出の引き出し】

二月に入ると、街は一気にチョコレートの色に染まります。しかし、令和のバレンタインは、私たちが若かりし「昭和」の頃とは随分と様相が変わったようです。

最近では、職場での「義理チョコ禁止」を掲げる企業も増えました。虚礼廃止という観点や、贈る側の負担を考えれば合理的ではありますが、かつての熱気あふれる……いや、少し浮き足立ったような昭和の二月十四日を知る者としては、どこか寂しさを感じてしまうのも事実です。

「なんだかんだ商店」の引き出しを整理していたら、そんな昭和のバレンタインにまつわる、一通の「白い封筒」の記憶が出てきました。

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昭和という時代と、一喜一憂の放課後

昭和のバレンタインといえば、今のような洗練された高級ブランドチョコよりも、もっと「手触り」のあるものが主役でした。ハート型のピーナッツチョコ、不格好な手作り、そして真っ赤な包装紙。

当時の男子中高生にとって、この日は一年で最も落ち着かない一日でした。休み時間のたびに自分の机の中をそっと探り、何も入っていないことに肩を落とす。そんな光景が日本中の教室で見られたものです。

そんな中、中学二年生だった私の机に、それは置いてありました。 なんの飾り気もない、一通の白い封筒です。

手に取ると、少しの重み。中にはチョコレートが入っていました。 そして封筒の表には、黒のマジックで見覚えのない筆跡が刻まれていました。

「Fより」

生まれて初めてもらったバレンタインチョコレート

三十数年前の「ミステリー」

私は必死に考えました。クラスに「F」というイニシャルを持つ女子は誰か。 苗字が「藤井さん」か、それとも名前が「ふみえさん」か。

授業中も、出席番号順に女子の顔を一人ひとり思い浮かべては、その可能性を検討しました。「あの子だろうか」「いや、まさかあの子が……」。

当時はスマホもSNSもありません。誰かに確認する術もなく、その「F」という文字の筆跡だけを頼りに、一人で妄想を膨らませるしかありませんでした。

結局、誰が置いてくれたのかは分からずじまいでした。今思えば、ただの悪ふざけや、からかいだったのかもしれません。けれど、当時の私にとってそれは、人生で初めて手にした「義理ではない(と思いたい)」特別な贈り物。

白い封筒と黒いマジックの文字は、昭和の記憶の奥深くに、大切な宝物として仕舞い込まれたのです。

三十数年後に届いた「答え合わせ」

この記憶が再び光を浴びたのは、それから三十数年が経った頃でした。 仕事でお付き合いのあった会社の女性事務員さんたちと、ふとした拍子にバレンタインの話になり、私はこの「Fより」のエピソードを披露しました。

「そんな淡い思い出があったんですね」 そう言って笑い合った数日後、ちょうどバレンタインの当日に、私はその会社を訪問しました。すると、一人の事務員さんが「はい、これ」と、一通の封筒を手渡してくれたのです。

差し出されたのは、その会社の名前が入った何の変哲もない事務用封筒。 しかし、そこにはあの日と同じ、力強いマジックの文字が躍っていました。

「Fより」

事務員さんたちの粋な計らいに、私は思わず声を上げて笑いました。 三十数年前の未解決事件が、時を超えて、こんなにも愉快な「笑い話」として完結した瞬間でした。

贈る心は、時代を超えて

現在、バレンタインの形式は変わり、義理チョコという文化は消えつつあります。 効率やハラスメント防止という面では正しいのかもしれませんが、私が事務員さんからもらった「Fより」の封筒のように、誰かを少しだけ笑わせよう、喜ばせようとする「遊び心」や「お節介」もまた、人間関係の潤滑油だったのではないでしょうか。

形は変わっても、誰かのために名前を書く、あるいは誰かのことを思って品物を選ぶ。その不器用な優しさだけは、昭和から令和へ、大切に引き継いでいきたいものです。

さて、皆さんの「思い出の引き出し」には、どんなバレンタインが仕舞われていますか? 「なんだかんだ」と言いながら、今年もまた、誰かの想いが誰かに届く一日であることを願っています。

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