最近、「煮ても焼いても食えない人物」、周りにいませんか?
相手にしても言うことを聞かず、
説得しても動かず、
注意しても笑ってごまかす――
それが「ただの厄介者」なのか、
「規格外の強者」なのか、判断がつかない存在。
昭和の時代、そういう人物を、
「煮ても焼いても食えない」
と表現しました。
ただの悪口でも、ただの称賛でもなく、
畏れと呆れと、少しの尊敬が混ざった言葉。
この記事では、絶滅危惧語になりつつある
この独特な日本語を、比喩・文化・人物像の観点から掘り下げます。
「煮ても焼いても食えない」とは?意味と由来
意味:手に負えないほど性質が悪い/扱いにくい人物のこと
この表現は、
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「煮る」
-
「焼く」
という、調理の基本工程を用い、
どんな手を施しても役に立たない、受け入れられないほど困った存在
という比喩から生まれました。
🍳 なぜ「食えない」=「悪い」なのか?
食べ物は、人が生命を繋ぐための根源的な文化。
そこから発生する比喩は、
生活に根ざしたリアリティを持っています。
つまり、食をベースにしたことばは強い。
「腹黒い」「青二才」「干物女」「甘い」「苦い経験」
――すべて食に関係する感覚表現です。
「煮ても焼いても食えない」もその流れのひとつで、
人の性質を“料理”という生活の中で判断してきた時代の感性が残っています。
筆者的深掘り — 「煮ると焼く」の二段構えが持つ比喩の妙
面白いのは、
煮てもダメ、焼いてもダメ
という 二段階の否定 が入っている点。
言い換えれば、
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あらゆる手段をやっても無駄
-
基本の処理すら通用しない
-
完全に規格外の存在
という、強烈な評価。
現代の「やばい」「無理」「とんでもない」では
ここまでの重みは生まれません。
昭和の日本語の魅力は、
生活と文化に根ざした比喩で「人」を語ること。
「煮ても焼いても食えない」には、
生々しくもユーモラスな、生活の感覚が宿っています。

煮ても焼いてもダメだったら「生(なま)」はイケるかな?
煮ても焼いても食えない「昭和の人物像」
この表現が刺さるのは、
ただの「困った人」ではありません。
こういう人物がモデルになりやすい👇
| タイプ | 説明 |
|---|---|
| 頑固者 | 誰が何を言っても曲げない |
| 豪胆 | 常識外の行動を平然とやる |
| 腕っぷしが強い | 関わると痛い目を見そう |
| 信念の塊 | 言葉より行動が先に出る |
| 社会不適合の天才肌 | システムに収まらない |
つまり、ただ性質が悪いのではなく、強烈な個性を持つ人物に対して使われたのが、この表現でした。
昭和の職場や商売の現場では、
こうした「煮ても焼いても食えない人」が、
逆に信頼されたり、大物と扱われたりすることもありました。
「扱いづらいが実力は本物」
という矛盾が存在していたのです。

誤用・現代の使用例と類語の違い
現代では、似た表現に置き換えられることが多く、
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「変わり者」
-
「一癖も二癖もある」
-
「クセの強い」
-
「剛の者」
しかし「煮ても焼いても食えない」は、
評価と警戒が混在した言い回しであるところが特徴。
「敵に回すと面倒だが、味方にするとなかなか頼もしい」
この厚みは、現代語ではなかなか作れません。
また、現代は「個性の尊重」を前提とするため、
“悪口”として誤解されることもあります。
まとめ:「煮ても焼いても食えない」人物は、現代に必要か
効率化、合理化、協調性。
令和はこれらを重視する時代です。
しかし、歴史を振り返れば、
革新や変化を導いたのは、
常識に収まらない「煮ても焼いても食えない人物」でした。
🔸 面倒
🔸 扱いにくい
🔸 でも、見て見ぬふりができない
あなたの周りにもいませんか?
「煮ても焼いても食えない」けれど、なぜか目が離せない誰か。
もしかすると、その人こそ、何かを教えてくれて、何かに気づかせてくれる存在なのかもしれません。

