ドラえもんのジャイアン。
ど根性ガエルのゴリライモ。
昭和の物語には、必ずと言っていいほど「ガキ大将」が登場しました。
乱暴で、声が大きくて、逆らうと怖い。けれど、なぜかみんなが付いていく存在です。
昭和の路地裏や空き地には、必ず一人、場を仕切る子供がいました。
それが「ガキ大将」です。
空き地に響く
「おーい、あつまれー!」
その一号令で、近所の子供たちが集まり、今日の遊びが決まります。
誰が野球をするのか。
誰が鬼になるのか。
どこまでが遊び場なのか。
そこには、大人が知らない子供だけの社会があり、その中心には必ずガキ大将という名の「小さなリーダー」が君臨していました。

独裁者にして、守護神
ガキ大将は、決して優等生ではありませんでした。
自分の思い通りにしたがるし、理不尽な命令も出します。
ジャイアンの
「お前の物は俺の物、俺の物は俺の物」
という有名なセリフは、まさにその象徴でしょう。
しかし彼らは、単なる暴君ではありませんでした。
他所の町の子供に仲間が絡まれたと聞けば、
真っ先に飛び出していくのは、決まってガキ大将でした。
自分の縄張りの仲間は、自分が守る。
そこには、言葉にはしないけれど、絶対的な責任感がありました。
理屈ではなく、体で示す。
それがガキ大将のやり方だったのです。
子供だけの社会、独自のルール
昭和の空き地に、大人はほとんど介入しませんでした。
多少の喧嘩や騒ぎは、「子供の世界のこと」として見守られていたのです。
遊びのルールが気に入らなければ、文句を言う。
喧嘩になれば、殴り合いになることもあります。
けれど、いつの間にか仲直りして、また同じ場所で遊ぶ。
その仲裁役を務めるのが、ガキ大将でした。
年下への配慮。
ズルをした者への裁き。
負けた者の言い分を聞くかどうか。
すべては、子供同士の交渉と、ガキ大将の裁量で決まります。
泥だらけの序列の中で、私たちは社会の縮図を学びました。
理不尽への耐性も、強い者への接し方も、
すべては空き地が教科書だったのです。
空き地と共に消えた「王様」
やがて時代が進み、空き地は姿を消していきました。
塾や習い事、家庭用ゲーム機、管理された公園。
子供たちが自由に群れる場所は、少しずつ減っていきます。
公園には
「ボール遊び禁止」
「大声禁止」
の看板が立ち、常に大人の目が届くようになりました。
その結果、ガキ大将という役割も、静かに消えていきました。
今は「いじめ」と「指導」の境界線がとても厳しく、
彼らのような強烈な存在は、真っ先に排除されてしまいます。
それは必要な変化でもあります。
けれど、あの不器用な正義感まで一緒に消えてしまったのだとしたら、
少し寂しい気もします。

結び|あの日、背中を追いかけた君へ
怖かったけれど、どこか憧れていた背中。
ガキ大将に揉まれ、怒鳴られ、時には守られた日々。
あの経験が、
今の自分たちの根性や、人との距離感を支えているのかもしれません。
空き地の土管の上に立ち、
腕を組んで仲間を見下ろしていた、あの小さな王様。
もし彼が今の整然とした街並みを見たら、
何と言うでしょうか。
きっと、相変わらず不器用に笑いながら、
「まあ、悪くねえな」と言うのかもしれません。
ガキ大将は消えても、
あの日の熱と秩序は、
私たちのどこかに、確かに残っているのです。
あわせて読みたい【絶滅危惧語】関連記事

