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【絶滅危惧物】汲み取り式トイレとチリ紙の記憶|不便さが当たり前だった昭和の“覚悟の場所”

汲み取り式トイレとチリ紙の記憶|昭和の不便さが当たり前だった頃の暮らし 【一、思い出の引き出し】
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トイレは、気軽に入る場所ではありませんでした

今のトイレは、本当に快適です。

明るい。
暖かい。
匂いも抑えられている。
音まで気遣ってくれる。
ボタンひとつで水が流れ、用を足した痕跡も、すぐに消えていきます。

けれど、昭和の頃のトイレは、そんな場所ではありませんでした。

暗い。
寒い。
そして、はっきり言えば臭い。

それでも、それが普通でした。
嫌だからといって避けられるわけではなく、毎日の生活の中に当たり前にある場所だったのです。

大人でも怖い薄暗くて寒い昭和の汲み取り式便所

今思えば、あの頃のトイレは「清潔な設備」というより、
少しの覚悟を持って入る場所だった気がします。

まず鼻が覚えている、あの匂い

汲み取り式トイレの記憶で、いちばん先に浮かぶのは、やはり匂いです。

特に夏場。
扉を開けた瞬間に、あの独特のアンモニア臭が鼻を刺しました。

今のように、何も感じない空間ではありません。
「あ、トイレだ」と体が先に反応するような、はっきりした存在感がありました。

大人にとっては当たり前でも、子どもにはなかなか強烈です。
けれど、その匂いも含めて、当時の暮らしの一部でした。

嫌だけれど、そこにある。
不快だけれど、避けられない。
そんなふうに、人は案外いろいろなことに慣れていくものですね。

便器の奥には、底の見えない“黒い穴”がありました

いわゆる「ボットン便所」です。

便器の奥は、ぽっかりと口を開けた黒い穴。
底なんて見えません。

子どもの頃は、あれが本当に怖かった。

「落ちたらどうなるんだろう」
そんなことを、一度は考えた方も多いのではないでしょうか。

大人から見れば笑い話かもしれませんが、当時の子どもにはかなり真剣な恐怖でした。
のぞき込みすぎるのも怖い。
前に出すぎるのも怖い。
どこかに吸い込まれてしまうような、妙な不安があるのです。

ですから、汲み取り式トイレに入るというのは、
ただ用を足すだけではなく、ちょっとした冒険でもありました。

チリ紙は、ざらざらしていて頼もしい相棒でした

今のトイレにあるロール式のトイレットペーパー。
あれが最初から普通だったわけではありません。

当時、そこに置かれていたのは
チリ紙(落とし紙)でした。

四角く切られて束ねられた、灰色がかった紙。
触るとざらっとしていて、決して柔らかいとは言えません。

けれど、それが当たり前でした。

鼻をかむのもチリ紙。
ちょっとした汚れを拭くのもチリ紙。
そしてもちろん、用を足したあともチリ紙。

万能だけれど、決して高級ではない。
むしろ“質素だけれど頼りになる紙”でした。

しかも、水に溶けにくい。
入れすぎると詰まることもある。
だから子どもなりに、「何枚使うか」を無意識に考えていたような気がします。

今のように、ただくるくる引き出して使うのとは、少し感覚が違いました。

汲み取りの日は、生活の裏側を見る日でもありました

ある日、外から重たいエンジン音が聞こえてきます。

「あ、来た」

あのバキュームカーを見かけると、友達みなが一斉に鼻をつまみました。

そう、汲み取り作業の日です。

長いホースを持った作業員の方がやって来て、黙々と、でも手際よく作業を進めていく。
子ども心に、その様子は少し不思議でした。

普段は意識しないものが、ちゃんと回収され、運ばれていく。
自分たちの暮らしの“裏側”を見せられているような感覚です。

今のように、流せば見えなくなる世界ではありません。
生活の痕跡が、そのまま“そこにある”時代でした。

汚いとか、不便だとか、そういうことだけではなく、
暮らしというものは、こうやって循環しているのだと、体で知る機会でもあったのかもしれません。

初めての水洗トイレは、未来そのものでした

そんな私が、ある日初めて水洗トイレに出会います。

新しくできた公共施設か何かだったと思います。
「きれいだな」と思いながら入ったものの、私はそこで戸惑いました。

まず、便器の穴の位置が違う。
いつものように真下ではなく、少し前の方にある。

「え? これはどうやって使うんだ?」

子どもだった私は、本気で悩みました。

さらに置かれていた紙も違います。
白くて、柔らかくて、くるくる巻かれている。

それが、私にとって初めて見る
トイレットペーパーでした。

チリ紙とはまるで違う手触りに、どこか落ち着かない気分になったのを覚えています。

もっと困ったのは、そのあとでした

何とか用は足しました。

けれど、そのあとがいけません。
水を流すレバーの存在に、私は気づかなかったのです。

体から出たものは、そこにそのままある。
時間だけが過ぎる。
匂いも少しずつ漂ってくる。

でも、何も起こらない。

子どもだった私は、だんだん怖くなってきました。

「どうしよう」
「これ、このままでいいのか」
「誰か来たらどうしよう」

結局、私はそのまま個室を出てしまいました。

今思えば、次に入った人が流してくれたのでしょう。
なんとも情けない話ですが、あれもまた、水洗トイレという“新しい文明”に出会った時の、正直な戸惑いでした。

匂いと一緒に思い出すあたりが、何とも昭和らしい記憶です。

不便さの中で、少しだけ腹が据わっていったのかもしれません

もちろん、今のトイレのほうがずっといいです。

快適ですし、清潔ですし、戻りたいかと聞かれたら、正直ためらいます。
いや、ほとんど戻りたくありません(笑)。

けれど、不便さや匂いや寒さの中で、それでも毎日を普通に過ごしていたあの時代には、今とは違う感覚があったように思います。

汲み取り式トイレもチリ紙も、水洗トイレでの戸惑いも、どれも決して美しい思い出ではありません。
でも、生活というものの生々しさを、真正面から受け止めていた時代だったとは言えるでしょう。

そういう経験の積み重ねが、少しぐらいのことで動じない“腹の据わり方”につながっていたのかもしれません。

まとめ

汲み取り式トイレとチリ紙。
それは、昭和の暮らしの中に確かにあった、少し不便で、少し怖くて、でも避けて通れない日常でした。

暗さ。
匂い。
ブラックホールのような黒い穴。
ざらざらした紙。
そして、水洗トイレに初めて出会った時のあの戸惑い。

どれも今の感覚で見れば、快適とはほど遠いものです。
けれど、あの不便さの中には、今では失われた生活の手触りがありました。

便利さは確かにありがたい。
でも、手間や戸惑いの中で覚えたことまで、全部無駄だったとは思いません。

汲み取り式トイレの記憶は、決してきれいな思い出ではありません。
それでも、あの頃の暮らしを支えていた、地に足のついた昭和の記録として、今も私の中にしっかり残っています。

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