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【昭和の荒業】なぜ昔のテレビは「叩けば直る」と信じられていたのか? 衝撃と気合のブラウン管時代

テレビを叩いて直すのはなぜ?昭和のブラウン管と「叩けば直る」の謎 昭和レトロ慣用句/絶滅危惧語

衝撃と気合のブラウン管時代

画面が、突然ざわつき始める。
砂嵐。
あるいは、映像が上下に流れ、人物の顔が二重三重に重なる。

そんな異変が起きた瞬間、
昭和の茶の間では、誰もが同じ行動を取りました。

――テレビを、叩く。

それも、迷いなく。
まるで、それが唯一の正解であるかのように。

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魔法の「側面叩き」という荒業

叩く場所は、だいたい決まっていました。
正面ではなく、側面。
少し斜め上、45度あたり。

強すぎてもいけない。
弱すぎても効かない。

「今だ!」
という、謎のタイミングで繰り出される一撃。

バシッ!

するとどうでしょう。
さっきまで機嫌を損ねていたテレビが、
何事もなかったかのように、元の映像を映し出す。

もちろん、理屈はあります。
真空管の接触不良が、振動で一時的に改善された――
そんな説明も、後からならできます。

でも、当時の感覚は違いました。

あれは科学ではなく、気合の問題でした。

ゴーストとの総力戦

画面に映る、もう一人の自分。
右にずれた影、左に残る残像。

いわゆる「ゴースト」です。

この敵と戦う時、
家族は自然と役割分担をしていました。

屋根の上、あるいは窓際でアンテナを動かす父。
テレビの前で、
「今!」「あ、戻った!」「いや、悪くなった!」
と叫ぶ私。

リモコンなどありません。
座って見るだけのテレビではなく、
全身を使って受信する娯楽だったのです。

機械にも「機嫌」があった時代

不思議なことに、
家ごとに「効く叩き方」が違いました。

「このテレビは、右だ」
「いや、うちは左を軽く」

テレビは精密機械というより、
言うことを聞かない同居人のような存在でした。

説明書よりも、経験。
理屈よりも、慣れ。

まるで躾をするかのように、
私たちはテレビと付き合っていたのです。

家具としての風格:4本脚の白黒テレビ

私の記憶にあるテレビは、
今の薄型とはまったく違います。

細い4本の脚が伸びた、
小さな箪笥のような白黒テレビ。

テレビは、
家の中でもっとも高価な「家財」でした。

部屋の隅にどっしりと鎮座する姿には、
どこか威厳すら感じられました。

一日の終わりの儀式:テレビカバー

そんな大切なテレビには、
必ず行われる儀式がありました。

それが、カバーを掛けること。

レース付きのもの、
ベルベットのような手触りのもの。

放送が終わり、画面が砂嵐になると、
母や祖母が、そっとカバーを被せる。

まるで、
「今日もご苦労さま」と声をかけるように。

叩くほど雑に扱いながら、
同時に、驚くほど大切にもしていた。

この矛盾こそが、昭和でした。

まとめ:あの「バシッ!」という音は

今、テレビが止まれば、
再起動します。
触ることすら、ためらいます。

でも、あの頃は違いました。

テレビに触れ、
叩き、
機嫌を伺いながら付き合っていた。

あの「バシッ!」という音は、
昭和の茶の間の日常のBGMでした。

不器用で、
雑で、
どこか愛おしい。

そんな時代の記憶が、
今も、胸の奥でチラつくのです。

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