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「清水の舞台から飛び降りる」の真実――それは絶望ではなく、未来を賭けた「祈り」だった

【三、知識の箱】
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「一生モノ」を買う時の決まり文句

「よし、清水の舞台から飛び降りたつもりで買っちゃえ!」 私たちがこの言葉を使うのは、大抵、予算を大幅に超える高価な買い物を前にして、自分を奮い立たせる時ではないでしょうか。

思い切って大きな決断を下すことの例えとして定着していますが、実はこの言葉、江戸時代には単なる比喩ではなく、「本当に飛び降りた人たち」がいたことから生まれた言葉なのです。

高価な買い物を前にした緊張感。ショーウィンドウの前で一歩踏み出す人物

生存率85%の「賭け」

京都の清水寺。あの高さ約13メートルの舞台から、江戸時代に実際に飛び降りた人は記録に残っているだけでも234人にのぼります。

驚くべきは、その生存率。

なんと約85%の人が助かったという記録があります。

彼らは自殺をしたかったわけではありません。

「観音様に命を預け、飛び降りて無事ならば願いが叶う」と信じて、病気平癒や家内安全といった「人生の大勝負」を神様に直談判するために飛んだのです。

私にとっての「清水の舞台」は、あのトレーニング器具だった

私自身の人生を振り返ってみると、あの「ブルーワーカー」を手に入れた時が、

まさに「清水の舞台から飛び降りる」ような心境だったのかもしれません。。

当時20歳頃の痩せた自分にとっては、金額の高さもさることながら、

「これを手に入れれば、自分は逞しく生まれ変われるんだ!」

という、切実なまでの意気込みと決意がありました。

「ブルーワーカー」の記事でも書きましたが、あの時、恥じらいながらも箱を抱えて帰った道筋は、理想の自分を信じた「祈り」の帰り道だったのかもしれません。

【絶滅危惧物】ブルーワーカー : 包装紙に包まれなかった「理想の自分」と、恥じらいの帰り道
少年誌の裏表紙で有名なトレーニング器具「ブルーワーカー」。社会人になりたての頃、痩せた自分を変えたくてデパートで購入した際の実体験を綴ります。包装されず剥き出しの箱を抱えて歩いた帰り道、女子高生の視線に怯えた、不器用で熱かったあの頃の記憶。

……まあ、結果としてその「祈り」が肉体に届くことはありませんでしたが(笑)、あの瞬間の震えるような決断の記憶だけは、今も鮮明に残っています。

まとめ:舞台から飛び降りた後の景色

かつて必死の思いで舞台から飛んだ人たちは、地面に降り立った後、どんな気持ちで空を見上げたのでしょうか。

たとえ願いが叶う途中であっても、それまでの迷いが吹き飛んだ、清々しい景色が見えていたはずです。

「デフォルト」の設定を変えて未知の世界へ踏み出す時、そこにあるのは恐怖ではなく、より良い未来を信じる「エネルギー」であってほしいもの。

還暦を過ぎ、今さら本物の舞台から飛び降りる体力はありませんが、心の中ではいつでも、新しい自分に出会うための「舞台」に立っていたい。

言葉のルーツを知ると、いつもの決まり文句も少しだけ、自分への「誓い」のように聞こえてきませんか?

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