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【絶滅危惧物】半ドンの放課後と「肝油ドロップ」 :一粒に込められた、昭和の健康とささやかな幸福

なぜ「肝油ドロップ」は特別だったのか?半ドンの放課後と一粒の重み 昭和レトロ慣用句/絶滅危惧語

土曜日のチャイムが鳴った、その後で・・・

土曜日の授業終了のチャイムは、
平日とは少し違う音に聞こえました。

「もう終わり」だけど、
「まだ家には帰れない」。

掃除が終わり、机を整え、
教室に残るあの微妙な時間。

そのとき配られたのが、
肝油ドロップでした。

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缶の音と、一粒だけという特別感

先生の手元にあった、
丸くて金属製の小さな缶。

ふたを開けると、
中でドロップがカタカタと鳴る。

一人につき、
一粒だけ

もっと欲しい気持ちはあるけれど、
それを口に出す子はいません。

一粒しかもらえないからこそ、
あれは「おやつ」ではなく、
特別な報酬でした。

赤っぽかった、あの頃の肝油ドロップ

今思い返すと、
あの頃の肝油ドロップは、
今の乳白色とは少し違っていました。

赤っぽくて、
どこか柿の種のような形

表面は少しジャリッとしていて、
中はグミより柔らかく、
ゼリーより弾力がある。

あの不思議な食感は、
今でも舌が覚えています。

「肝油ドロップ」とは?なぜ学校で配られていたのか

肝油ドロップとは、魚の肝臓から取れる肝油を原料にした、ビタミンA・Dを補給するための栄養補助食品です。
昭和の時代、子どもたちの栄養状態を少しでも底上げする目的で、学校や地域を通じて配布されていました。

当時は今ほど食生活が豊かではなく、日照不足や栄養不足が成長に影響することも珍しくありませんでした。
そのため「甘くて食べやすい形で、健康を支えるもの」として選ばれたのが、この肝油ドロップだったのです。

けれど、子どもたちにとってそれは「栄養補助食品」ではなく、
土曜日の半ドンにだけもらえる、特別なご褒美でした。

噛むか、舐めるか。それが問題だった

肝油ドロップを前にすると、
子どもたちは二派に分かれます。

すぐに噛む派
時間をかけて舐める派

舐める派は、
できるだけ長く味わいたい。

噛む派は、
一気に口の中に広がる甘さを楽しみたい。

どちらが正解というわけでもない。
それぞれに、
小さな哲学がありました。

半ドンという、不思議な時間

土曜日は半ドン。

午前中で学校は終わるけれど、
完全な休日ではありません。

家に帰れば昼ご飯が待っている。
でも、そこまでの道のりが、
やけに長く感じられる。

お腹は空いている。
でも、我慢できないほどではない。

そんな中間地点で支えてくれたのが、
あの一粒の肝油ドロップでした。

一粒が、家までの道のりを支えてくれた

肝油ドロップを口に含み、
ゆっくり舌の上で転がす。

その甘みが、
少しずつ体に染みていく。

たった一粒なのに、
不思議と気持ちは満たされる。

あれがなかったら、
家までの道は、
もっと長く、もっと空腹だったかもしれません。

まとめ:一粒の中にあった、希望の味

今は、
お菓子もサプリも溢れています。

欲しければ、
いくらでも手に入る。

でも、
一粒に全神経を集中させて味わう
そんな時間は、
もうほとんどありません。

半ドンの放課後、
肝油ドロップを舌の上で転がしながら、
私たちは思っていました。

「もうすぐ日曜日だ」と。

あの一粒は、
健康のためだけではなく、
希望の味でもあったのです。

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