土曜日の授業が終わるチャイムは、どこか特別に聞こえたものです。
「もう終わり」なのに、「まだ帰らない」。
平日とは少し違う、あの不思議な余白の時間。
掃除を終え、机を整え、教室に残る数分間。
そのとき配られたのが、肝油ドロップでした。
カタカタと鳴る缶と、一粒だけの特別感
先生の手元にあった、小さな丸い缶。
ふたを開けると、中でドロップがカタカタと音を立てる。
一人につき、一粒だけ。
「もっと欲しい」と思っても、誰も口には出さない。
一粒しかもらえないからこそ、それは“おやつ”ではなく、特別な存在でした。

赤っぽかった、あの頃の肝油ドロップ
今思い返すと、あの頃の肝油ドロップは、今のものとは少し違っていました。
赤みがかった色で、どこか柿の種のような形。
表面はほんのりザラつき、中はやわらかく、独特の弾力がありました。
舐めると、じんわり広がる甘酸っぱさ。
あの味は、何十年経っても忘れられません。
肝油ドロップとは何だったのか
肝油ドロップは、魚の肝臓からとれる肝油を原料にした栄養補助食品です。
ビタミンAやDを補給するため、昭和の時代には学校などで配られていました。
当時は今ほど食生活が豊かではなく、子どもたちの栄養状態を補う必要がありました。
その中で、「甘くて食べやすい形で健康を支えるもの」として選ばれたのが、肝油ドロップだったのです。
けれど、子どもたちにとってそれは“栄養補助”ではありません。
半ドンの日にもらえる、特別なご褒美でした。
噛むか、舐めるか。それぞれの楽しみ方
肝油ドロップを前にすると、子どもたちは自然と二つに分かれました。
- すぐに噛む派
- ゆっくり舐める派
舐める派は、少しでも長く味わいたい。
噛む派は、一気に広がる甘さを楽しみたい。
どちらにも、小さなこだわりと楽しみ方がありました。
半ドンという「中間の時間」
土曜日は「半ドン」。
午前中で学校が終わる、あの少し特別な時間でした。
「半ドン」とは何か?を改めて考えると、あの頃の土曜日がどれだけ特別だったかが見えてきます。
午前で終わるけれど、完全な休日ではない。
家に帰れば昼ご飯があるけれど、まだそこまでの時間がある。
お腹は少し空いている。
でも、我慢できないほどではない。
そんな「中間の時間」を支えてくれていたのが、あの一粒でした。
一粒が、家までの時間をつないでいた
肝油ドロップを口に含み、舌の上で転がす。
少しずつ広がる甘みが、体にしみていく。
たった一粒なのに、不思議と満たされる感覚。
あれがなければ、家までの道のりはもっと長く、空腹だったかもしれません。
私にとっての肝油ドロップの記憶
記憶は少し曖昧ですが、最初はオレンジ色で、柿の種のような形だった気がします。
その後、乳白色の丸いドロップに変わったような記憶もあります。
お腹が空いたときに舐めた、あの甘酸っぱい味。
それだけは、何十年経ってもはっきりと覚えています。
まとめ|一粒の中にあった「希望」
今は、お菓子もサプリも簡単に手に入る時代です。
けれど、一粒を大切に味わうような時間は、少なくなりました。
半ドンの放課後、肝油ドロップを舌の上で転がしながら、
私たちは「もうすぐ日曜日だ」と感じていました。
あの一粒は、栄養だけでなく、
小さな楽しみと、次の日への期待を運んでくれていたのです。

