置かれる場所で意味が変わる「阝」
漢字の世界には面白い決まりがあります。
「阝(ぎふ)」という同じ形でも、左側に置かれれば険しい山を意味する「こざとへん」、
右側に置かれれば人が集まる村を意味する「おおざとへん」となります。
置かれる場所が違うだけで、一方は「厳しさ」を、もう一方は「豊かさ」を表す。
この二面性は、どこか私たちの人生にも似ている気がします。
私の人生の「こざとへん(険しい山)」
私にとっての「険しい山」は、拾っていただいた社長の下で過ごした20年間でした。
社長の要求レベルは常に高く、仕事のスピード感は超一流。

スロースターターの私は、その圧倒的な要求に四苦八苦し、ミスをしては叱られる毎日でした。
休日ののどかな時間や、出勤前のまだ暗い早朝。枕元の電話が鳴るたびに、胃がキュッとなるような感覚を覚えました。
カミさんにこぼした「愚痴」という名の安全弁
「もう、やってられないよ」
「休みの日くらい、放っておいてほしいよ」
当時、私はよくカミさんに不満や愚痴をこぼしていました。

情けない自分を見せるようで心苦しい時もありましたが、自分の中から言葉として吐き出し、それをただ聞いてもらう。
その「安全弁」があったからこそ、私は20年もの間、折れずに現場に立ち続けることができたのだと思います。
20年を経て見えた「おおざとへん(豊かな村)」
退職して3年が経とうとしている今、振り返ってみると不思議な感覚があります。
あれほど険しかった山が、今では私の中に「確固たるスキル」や「忍耐力」という豊かな村(財産)を作ってくれているのです。
あんなに厳しかった社長が、今でも私を信頼して相談を持ちかけてくれる。その不器用な関係性も、今の私にとっては大切な一部です。
物事には必ず「二面性」があります。
今、目の前の壁が険しい「こざとへん」に見えていても、
いつかそれが自分を豊かにする「おおざとへん」に変わる日が来る。
漢字の成り立ちを眺めながら、そんなことを思いました。
振り返れば、あの日々の苦しみも、漢字が持つ「二面性」が教えてくれた人生の法則だったのかもしれません。そもそも、なぜ「阝(ぎふ)」という同じ形が、左と右でこれほど極端に意味を変えてしまうのか。その不思議な成り立ちと、「右衛門・左衛門」にも通じる歴史の裏側については、こちらで詳しく解説しています。
