お正月の昼下がり。
こたつにみかん、台所から漂ってくるおせちの匂い。
チャンネルを回さなくても、テレビはもう決まっていました。
「新春かくし芸大会」
今思えば、あれほど正月らしい番組も、もうありません。
歌手は歌わず、俳優は芝居をせず、芸人ですら本業とは別のことに挑む。
それも、生半可ではありません。
数か月かけて、中国独楽、綱渡り、空中ブランコ、語学、パントマイム――
失敗すれば全国に恥をさらすその舞台に、一流スターたちが本気で立っていました。

「超一流が、必死で素人になる」不思議な魅力
かくし芸の面白さは、完成度だけではありません。
むしろ視聴者が惹きつけられたのは、
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手が震えていること
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額に浮かぶ汗
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成功した瞬間の、子どものような笑顔
でした。
普段は完璧に見える人たちが、
正月だけは「下手でも許される場所」に立たされる。
その姿を、日本中がこたつに入りながら見守っていたのです。
CGも編集もない時代です。
落ちれば落ちるし、失敗すればそのまま放送される。
だからこそ、あそこにはごまかしのきかない努力がありました。

「芸を見せる」=「仲間になる」だった時代
かくし芸は、単なる余興ではありませんでした。
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自分の殻を一度、壊すこと
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笑われる側に立つこと
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失敗を共有すること
それらを通して、
「この人は、同じ輪の中に入った」
と認められる儀式でもあったのです。
今の言葉で言えば、
「心理的安全性を作るための、かなり荒っぽい方法」
だったのかもしれません。
消えていった理由は、決して一つではない
時代が進むにつれ、かくし芸は姿を消していきました。
理由は明確です。
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無理強いはハラスメントとされるようになった
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個人の尊厳が強く意識されるようになった
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テレビも会社も、失敗を許さなくなった
それは間違いなく、良い変化です。
誰かを傷つけてまで笑いを取る必要はありませんし、
芸ができないからといって評価が下がる時代でもありません。
それでも、少しだけ思うこと
ただ、正月のテレビから「かくし芸」が消え、
宴会から「出し物」が消えたあと、
私たちは少しだけ、
他人の不完全さに寛容でいられる場を
失ったのかもしれません。
必死に練習したけれど、うまくいかなかった。
それでも、拍手が起こる。
そんな時間が、確かにありました。
まとめ:かくし芸は消えた。でも・・・
「かくし芸」という言葉は、もうほとんど使われません。
正月番組からも、会社の宴会からも、姿を消しました。
けれどあれは、
人を笑わせるための芸である前に、
人と人をつなぐための“勇気”だったのだと思います。
芸がなくてもつながれる時代になった。
それは素晴らしいことです。
ただ、正月のこたつであの番組を見ながら、
「よくやるなあ」と他人の努力を素直に応援できた、
あの少しだけ雑で、温かい空気を――
時々、思い出してしまうのです。
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