社会人になって一年目。
親元を離れ、私が就職したのは自動車ディーラーでした。
職種は自動車整備士。
といっても、当時の私は車に少し興味がある程度で、メカのことはほとんど分かっていませんでした。
そんな私が見習いとしてつくことになったのが、一人の先輩でした。
口数が少なく、無愛想で、どこか近寄りがたい。
いわゆる“一匹オオカミ”のような人です。
あとから聞いた話では、その先輩は自分より一回りほど年上で、気難しく、気が短いことで知られていたそうです。
ただし――
仕事は、抜群にできる人でした。
私にとっては、正直なところ、一番苦手なタイプの人でした。
言葉ではなく、“顔”で教えられていました
工具の使い方を教わるとき、私は何度も手間取っていました。
そのたびに、先輩は何も言いません。
ただ、顔が少しずつ険しくなっていくのです。
それだけで、十分でした。
「ああ、まずいな」
そう感じるには、言葉はいりませんでした。
あるとき、手元でもたついていると、
ガチャーン
大きな音がしました。
スパナが飛んできたのかと思いましたが、今思えば、ただ落としただけだったのかもしれません。
けれど、その瞬間の空気は、はっきりと覚えています。
作業場全体が、ピンと張り詰めたような、あの感覚です。

こうした「言葉にしない圧力」は、昭和では珍しいことではありませんでした。
詳しくは、こちらの記事でも触れています。
「空気を読む」とは何だったのか
沈黙が一番の合図でした
先輩は多くを語る人ではありませんでした。
怒鳴るわけでもなく、細かく説明するわけでもない。
ただ、黙る。
その沈黙が、何よりも強い合図でした。
何をすべきか、どう動くべきか。
それを自分で考えろ、という空気。
今で言えば不親切に思えるかもしれませんが、当時はそれが普通でした。
父と、どこか似ていた先輩
後になって気づいたのですが、その先輩は、どこか父に似ていました。
口数が少なく、不器用で、気が短い。
仕事はできるけれど、人に教えるのはあまり得意ではない。
父もまた、左官の仕事をしていましたが、若い人をうまく使うのが苦手だったと聞いています。
もしかすると、あの先輩も同じだったのかもしれません。
言葉で説明するより、背中で見せる。
できないことに対して、うまく言葉にできない。
そんな時代の職人だったのだと思います。
家庭でも同じような空気を感じていました。
「機嫌で支配される空間」でも書いていますが、父の機嫌ひとつで家の空気が変わることもありました。
それでも、仕事は覚えていきました
緊張に包まれた日々でしたが、私はなんとか耐えながら、少しずつ仕事を覚えていきました。
とっつきにくい人ではありましたが、技術だけは確かなものがありました。
やがて部署が異動になり、その先輩と一緒に仕事をすることはなくなりました。
後になって、お見合いが成立して結婚されたと聞きました。
なんとなく、その話を聞いたとき、少しホッとしたことを覚えています。
なぜか、ああいう人に出会うのです
今振り返ると、不思議に思うことがあります。
私は、どういうわけか、ああいうタイプの人に出会うことが多いのです。
父もそうでしたし、あの先輩もそうでした。
無口で、不器用で、少し怖い。
けれど、どこか一本筋が通っている。
私は、そういう人に惹かれるのか、あるいは、そういう人に拾われるのか。
理由はよく分かりません。
ただ一つ言えるのは、
あの緊張に包まれた日々があったからこそ、今の自分があるということです。
そう思うと、不思議と悪い記憶ではなくなってくるのです。
まとめ:言葉にしない指導があった時代
無言の先輩。
今の時代から見れば、不親切で、少し怖い存在かもしれません。
けれどそこには、言葉に頼らない教え方と、仕事に対する厳しさがありました。
昭和という時代は、そうした「空気の中で学ぶ」文化が当たり前のように存在していたのです。
それが良いか悪いかは別として、あの空気の中で育った経験は、今でも確かに自分の中に残っています。
関連記事
昭和の空気の基本についてはこちら。
家庭での空気についてはこちら。
空気の変化についてはこちら。

