今のように、スイッチひとつで部屋が均一に暖まる時代ではありませんでした。
昭和の冬の暖かさには、必ず燃料の匂いと人の手が関わっていました。
我が家の冬も例外ではありません。
その中心にあったのが、鍛冶屋だった祖父と、居間に据えられた豆炭こたつでした。
火のプロだった祖父が起こす「本物の火」
祖父は鍛冶屋でした。
仕事場では、赤く熾(おこ)した鉄と向き合い、火花を散らしながら鉄を打つ毎日です。
そんな祖父にとって、豆炭やコークスの火を扱うことは日常でした。
豆炭こたつの準備も、どこか手慣れたもので、火を入れる動作には無駄がありません。
冷え切った朝の居間に、じわりと広がっていく温もり。
その匂いと熱は、電気暖房とはまったく違う、土と火の気配をまとった暖かさでした。
今思えば、家庭の暖房と職人の仕事が、同じ「火」でつながっていたのは、なんとも贅沢なことだったのかもしれません。

一度入ったら出られない「豆炭こたつ」の魔力
豆炭こたつは、逃げ場がありません。
一度足を入れてしまうと、外の寒さとの差に負けて、なかなか抜け出せなくなるのです。
家族が自然と集まり、足が触れ合い、布団の中はぎゅうぎゅう。
外が寒ければ寒いほど、こたつの中は楽園でした。
豆炭の熱は、どこか重みがあります。
乾いた暖かさではなく、湿り気を含んだような、じんわりと染み込む熱でした。
その感覚は、今の電気こたつでは味わえないものです。
中央に鎮座する「やぐら」の記憶
昔の豆炭こたつには、中央に「やぐら」と呼ばれる金網のガードがありました。
今のフラットな電熱線タイプとは違い、そこに熱の中心がはっきりと存在していたのです。
外から帰ってきて、凍えた足をそのやぐらにそっと近づける。
熱いと分かっていても、あのジリジリとした刺激がたまりませんでした。
ときには、靴下の先が少し焦げてしまい、
「またやったの?」と母に叱られるのも、冬の定番でした。
危ないからやめなさいと言われても、
あの直接的な温もりは、どうしても忘れられなかったのです。
心地よさの中にあった、わずかな違和感
豆炭こたつは、とにかく気持ちがよく、つい長居してしまいます。
布団に深く潜り込み、うとうとする時間は、冬の至福でした。
ただ、長く入っていると、
なんとなく頭が重く感じることがありました。
今で言う一酸化炭素中毒の一歩手前だったのかもしれません。
当時は深く考えることもなく、
「ちょっとボーッとするな」くらいの感覚だったように思います。
今振り返れば、それは換気や火の扱いに対する意識が、
今ほど厳密ではなかった時代ならではの感覚だったのでしょう。
それでも、恐怖として記憶に残るほどではなく、
あくまで「気をつけなさい」と言われる程度の、日常の一部でした。
まとめ:命の熱に触れていた時代
豆炭こたつは、不便で、少し手間がかかり、
今の基準で見れば決して安全第一とは言えません。
それでも、あの頃の暖かさには、
人が火を管理し、火と共に暮らしていた実感がありました。
鍛冶屋だった祖父が起こす火は、
仕事のためだけでなく、家族の団らんを守る火でもありました。

便利さと引き換えに、
私たちは火への畏敬や、熱の重みを、少しずつ手放してきたのかもしれません。
豆炭こたつの中で感じた、
あの重たく、やさしい温もり。
それは今も、昭和の冬の体温として、静かに記憶に残っています。
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