「パチン」という音が、すべての始まりだった
金具を留めるときの、あの音。
「パチン」。
今でも耳の奥に残っています。
学校の机の横に掛けられた、色とりどりのケース。
グルービーケースは、ただのカバンではありませんでした。
ノートを入れ、筆箱を入れ、
そして少しの背伸びを詰め込むための箱。
軽さや機能性とは無縁の、
やたらと重くて、やたらと頑丈な相棒でした。
紙なのに、鉄より硬い(気がした)
グルービーケースは、紙でできていました。
それも、何枚も重ねて加工した硬質紙。
今思えば、鉄より硬いはずがありません。
けれど、当時は本気でそう感じていたのです。
角はなかなか潰れず、
多少乱暴に扱っても壊れない。
使い込むほどに角が丸くなり、
手にしっくりと馴染んでいく。
プラスチックのように割れることもなく、
布のようにくたびれることもない。
あれは「消耗品」ではなく、
一緒に時間を過ごす道具でした。
なぜ、グルービーケースは本屋にあったのか
今でも不思議に思うことがあります。
なぜ、あれは文房具屋ではなく、
街の本屋に並んでいたのでしょうか。
参考書を買いに行ったついでに、
ふと目に入るケースの色。
それは、
「勉強する人間になりたい」という
無言の憧れを刺激する存在でした。
お洒落なバッグというより、
「勉強する男の武器庫」。
本のインクの匂いと、
紙のケースの感触が、
記憶の中で今も一緒に残っています。
中身の宇宙――何を隠していたのか
グルービーケースの中身は、
ノートや教科書だけではありませんでした。
好きなアイドルの切り抜き。
友達からの手紙。
誰にも見せない走り書きの歌詞。
ときには、
自分でも説明できない不安や焦りまで、
一緒に放り込んでいた気がします。
重ければ重いほど、
自分の知識や経験が増えているような錯覚がありました。
あの重みは、
青春の重みだったのかもしれません。

不便さが、覚悟になることもあった
今の学生は、
軽くて機能的なリュックを使います。
それは、とても合理的です。
けれど、グルービーケースは違いました。
片手がふさがり、
重く、持ち替えも面倒。
でも、その不便さが、
「勉強する覚悟」のように感じられたのです。
両手が空かない。
逃げ道がない。
そんな感覚が、あの箱にはありました。
40年以上経っても、まだ現役である理由
驚くことに、
40年以上経った今でも、
そのグルービーケースは壊れていません。

傷は増え、色はくすみ、
金具の音も少し鈍くなった。
それでも、
役目を終えた感じがしない。
捨てられなかったのではなく、
今も、役目を終えていないだけなのです。
触れられる記憶として、
そこに在り続けています。
デジタル時代に残った「厚み」
今、思い出や知識は、
データとして薄く軽くなりました。
便利で、失くしにくい。
けれど、手触りはありません。
グルービーケースには、
厚みがありました。
物理的な厚み。
そして、感情の厚み。
簡単には壊れないその頑丈さは、
どこか、
あの頃の僕たちが大切にしていた
「ど根性」にも似ていた気がします。
まとめ:青春を閉じ込めた、ただ一つの箱
グルービーケースは、
単なる収納道具ではありません。
それは、
-
秘密基地であり
-
武器庫であり
-
持ち歩ける内面
でした。
あの箱に詰め込んだものは、
ノートや本以上に、
「当時の自分」だったのだと思います。
中には当時使っていた下敷き、日記帳、写真フィルムのネガが入れてあります。修学旅行に持っていった「使い捨てカメラ」で撮ったものかも?【使い捨てカメラ】はなぜ生き残ったか — デジタル時代に 「待つ喜び」 を伝える フィルムの魔法
もしあなたの家に今も、
どこかに眠っているなら、
久しぶりに、
金具を留める音を鳴らしてみてください。
「パチン」。
あの音と一緒に、
少しだけ、あの頃の自分が戻ってくるはずです。
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