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【昭和の流行語】「余裕のよっちゃん」に潜む魔物――バレーボールの試合で学んだ一生の教訓

「余裕のよっちゃん」で大逆転負け?昭和のバレーボール試合で学んだ痛い教訓 【二、知恵の棚】
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昭和の軽口「余裕のよっちゃん」

昭和の頃、物事がうまくいっているとき、私たちはよくこんな言葉を口にしていました。

「余裕のよっちゃん」

今思えば、なんとも気の抜けた、そして少し調子に乗った響きです。

駄菓子の「よっちゃんイカ」が語源だとも言われていますが、当時の子どもたちにとっては、
「俺は余裕だぞ」とアピールするための魔法の言葉でした。

けれど、この言葉には――

思っている以上に厄介な“落とし穴”があったのです。

楽勝ムードが生んだ「わざと」の一球

中学校の球技大会。クラス対抗のバレーボールの試合でした。

私のチームは序盤からリードを広げ、完全に流れを掴んでいました。

「これは勝ったな」

そう思った瞬間、頭の中に浮かんできたのが、あの言葉です。

「余裕のよっちゃん」

そして私は――

あろうことか、相手のサーブを「わざと」ミスしました。

ほんの出来心です。
少し遊びたかったのか、あるいは“余裕を見せたかった”のかもしれません。

でも、その一球が、すべての流れを変えてしまいました。

一瞬で崩れた「余裕」

そのミスを境に、相手チームの目の色が変わりました。

「アイツを狙え」

そう言わんばかりに、サーブが次々と私に集まってきます。

焦り始めた私は、さっきまで普通に取れていたボールが取れない。

体が硬くなり、判断も遅れ、ミスが続く。

気づけば――

一点、また一点と差が縮まり、

最後は、まさかの逆転負け。

 

まるで、イソップ童話の「ウサギと亀」です。

勝ちを確信したウサギが油断した瞬間、
すべてが崩れていく。

あの日の私は、まさにそのウサギでした。

体育館に残った、あの重たい空気

試合終了のホイッスル。

その後の空気は、今でも忘れられません。

誰も何も言わない。
でも、すべてが伝わってくる。

「お前のせいだ!」

とは誰も言いませんでした。
けれど、それが逆に重かった。

私は顔を上げることができず、ただ手を合わせ体育館の床を見つめることしかできませんでした。

余裕こいて負けた後の静寂に包まれるバレーボールコート

その日から「チームプレー」が苦手になった

この出来事は、思っている以上に自分の中に残りました。

「自分の一つのミスで、全体が崩れる」

その怖さを知ってしまったからです。

それ以来――

・集団競技が苦手
・チームプレーに距離を置く
・一人で完結することを好む

そんな傾向が、いつの間にか身についていました。

今振り返ると、あの日の「申し訳なさ」が、
そのまま心に残り続けていたのだと思います。

👉 あの頃の「変わりたい」という焦りや不器用さは、
ブルーワーカーに手を出した若き日の苦い体験にもつながっている気がします。

「余裕」は見せるものではなく、保つもの

還暦を過ぎた今、あの言葉を思い出すたびに思います。

「余裕」とは――

見せびらかすものではない

ということ。

本当の余裕とは、

・最後まで気を抜かないこと
・崩れそうな時ほど冷静でいること
・万が一に備えていること

そうした「心の余白」のことだと思うのです。

あの時の私は、余裕ではなく――

ただの「油断」でした。

あの日の失敗は、今の自分を作っている

「なんだかんだ商店」の店主となった今でも、
あの日の体育館の空気は、ふとした瞬間に蘇ります。

でも、不思議なもので――

あの失敗があったからこそ、

・調子に乗らなくなった
・慎重になった
・最後までやり切る大切さを知った

そう思えるようにもなりました。

👉 昭和の失敗や恥ずかしい記憶を振り返ると、
人生の教訓として残っている出来事が意外と多いものです。

結び|「余裕のよっちゃん」と言いたくなったら

もし今、

「余裕のよっちゃん」と言いたくなる場面があったら――

少しだけ思い出してみてください。

その“余裕”、本当に大丈夫か?と。

あの一球のミスは、
私にとって一生忘れない授業でした。

皆さんの「知恵の棚」には、
どんな苦い教訓がしまわれていますか?

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