かつてのオフィスは、常に薄暗い霧がかかっているようでした。
朝、出社してまず火をつける。それが仕事開始の合図だった、という人も少なくありません。デスクの端には、重厚なガラス製の灰皿が、当たり前のように置かれていました。
電話をしながら一服。
書類をめくりながら一服。
考えが行き詰まったら、また一服です。
今では信じられない光景ですが、昭和から平成初期にかけて、日本のビジネスシーンではそれが「標準」でした。
視界は煙で霞み、空気は重く、それでも仕事は前に進んでいました。
もしかすると、あの煙こそが、仕事の熱を可視化していた存在だったのかもしれません。

会議室という名の「燻製(くんせい)部屋」
重要な会議ほど、部屋の空気は白く濁っていきました。
役員たちが席に着き、一斉にたばこへ火をつけます。数分もすると、向かいの人の表情が煙越しにしか見えなくなります。
煙の量と、議論の白熱度。
なぜかこの二つは、比例しているように感じられました。
誰かが強く灰皿にたばこを押し付ける音がすると、場の空気が一段引き締まります。
新しいたばこに火がつくと、「さて、ここからだ」という無言の合図になります。
その煙の中で、
会社の方針が決まり、
人事が決まり、
そして時には、日本の産業の未来さえ決まっていきました。
今の感覚で見れば、あれはまるで「燻製部屋」です。
しかし当時は、誰もそれを異常だとは感じていませんでした。
むしろ、煙たい会議ほど“本気の場”だと受け止められていたのです。

「たばこ休憩」という名の非公式会議
「ちょっと一本」
その一言が、正式な会議以上に重要な意味を持つことがありました。
喫煙所、あるいはデスク脇での短い一服。
そこは、役職や肩書きが少しだけ薄まる場所でした。
会議室では口にできなかった本音。
通らなかった企画の裏事情。
上司の愚痴や、部下の率直な不満。
それらが、煙と一緒にふっと漏れ出します。
不思議なことに、「たばこ休憩」の間に交わされた話が、そのまま翌日の決定事項になることも珍しくありませんでした。
公式な議事録には残りません。
しかし、確実に物事を動かす力を持っていました。
煙の中では、言葉が少し柔らかくなり、人も少し正直になります。
「たばこ休憩」とは、昭和のオフィスにおける最強のコミュニケーションツールだったのです。
灰皿のあるデスクが「当たり前」だった時代
個人のデスクに灰皿があることは、特別なことではありませんでした。
ガラス製、金属製、企業ロゴ入り。
灰皿は、ペンや電卓と同じ「仕事道具」の一つだったのです。
灰皿がいっぱいになると、若手社員がまとめて片付けます。
それが朝のルーティンになることもありました。
今なら問題視されるでしょうが、当時は誰も疑問に思っていませんでした。
煙たい。目が痛い。
それでも、「仕事とはそういうものだ」という空気が、確かに存在していました。
効率よりも根性。
清潔さよりも一体感。
良し悪しは別として、仕事には確かに“体温”がありました。
時代の転換点|分煙から禁煙へ
1990年代に入ると、少しずつ風向きが変わり始めます。
健康意識の高まり、受動喫煙への問題提起、そして職場マナーの見直しです。
まずは分煙。
次に喫煙室の設置。
やがて、完全禁煙へと移行していきました。
気づけば、デスクから灰皿は消えていました。
喫煙所はアクリル板で囲われ、オフィスの隅へと追いやられます。
空気は確かに澄みました。
その一方で、
「偶然の雑談」
「立ち話から生まれる発想」
そういったものも、少しずつ減っていったように感じられます。
もちろん、禁煙は正しい進化です。
誰かの健康を犠牲にして成り立つ職場など、あってはなりません。
それでも、ふと考えてしまいます。
あの煙たい空間で生まれていた“濃い時間”は、どこへ行ったのでしょうか。
まとめ:失われた「濃い」空気感
今のオフィスは、明るく、清潔で、効率的です。
オンライン会議が当たり前になり、意思決定は格段にスピーディーになりました。
それは間違いなく、進化です。
それでも時折、思い出します。
視界が霞むほど煙たい会議室。
「ちょっと一本」から始まる本音の会話。
灰皿を囲んで交わした、どうでもいいようで大切な言葉たちです。
「たばこ休憩」という言葉は、今や死語に近くなりました。
灰皿のあるオフィスも、過去の風景です。
不便で、煙たくて、決して褒められた時代ではありませんでした。
それでもあの頃の職場には、
今のデジタルでは置き換えられない「体温」が、確かに存在していました。
紫煙の向こうに、仕事があった。
そんな時代が、確かに存在していたのです。
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