ポケットやバッグの奥に、いつの間にか入っている使い捨てライター。
飲食店やパチンコ店、会社名入りのノベルティとして、
気づけば手元にあり、気づけば増えている——
そんな記憶を持つ人も多いのではないでしょうか。
それはあまりにも身近で、
あまりにも当たり前の存在でした。
しかし、この小さなプラスチック製の道具は、
「火をつける」という行為の意味を、静かに、しかし決定的に変えたモノでもあります。
昭和以前の「火」は、簡単なものではなかった
かつて、火を起こすことは簡単ではありませんでした。
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マッチを擦る
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オイルライターに燃料を注ぐ
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石を交換し、芯を整える
そこには必ず、
準備・手間・失敗の可能性が伴っていました。
火は生活に不可欠でありながら、
同時に「扱いを誤れば危険なもの」でもあったのです。
だからこそ、火を使う行為には、
どこか慎重さや儀式性が含まれていました。
使い捨てライターの登場と「利便性の勝利」
そこに現れたのが、使い捨てライターです。
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燃料補充は不要
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石の交換も不要
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壊れたら捨てるだけ
火は、
考えなくてもつくものになりました。
この利便性は、爆発的に受け入れられます。
特に昭和後期から平成にかけて、
喫煙者の増加とともに、使い捨てライターは生活に溶け込んでいきました。

火が「消耗品」になった瞬間
使い捨てライターがもたらした最大の変化は、
火そのものが「消耗品の一部」になったことです。
かつて火を扱う道具は、
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長く使うもの
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手入れするもの
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個人の所有物
でした。
しかし使い捨てライターは、
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無くしても惜しくない
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もらえるもの
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余れば捨てるもの
へと変えてしまいました。
火をつける行為から、
「重み」や「責任感」が、少しずつ剥がれていったのです。
ノベルティ文化が火をさらに身近にした
昭和後期、使い捨てライターは
広告・ノベルティの王様でもありました。
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店名入り
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会社名入り
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電話番号付き
無料でもらえるライターは、
企業と個人の距離を一気に縮めました。
同時に、
「タダでもらったモノ」への価値意識も、
私たちの中に刷り込まれていきます。
捨てるときに初めて訪れる違和感
使い捨てライターは、
使うときは簡単です。
しかし、捨てるときはどうでしょうか。
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ガスは残っていないか
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穴を開ける必要がある
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自治体ごとに分別が違う
使うときの手軽さと、終わり方の面倒さ。
このギャップに、多くの人が戸惑います。
ここで初めて、
「使い捨て」と言いながら、
実は簡単に終わらないモノだったことに気づくのです。
使い捨て社会が抱える倫理
使い捨てライターは、
現代社会の縮図でもあります。
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使うのは一瞬
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終わりの責任は後回し
火という危険性を持つ存在でありながら、
安価で大量に流通することで、
責任の所在が曖昧になっていきました。
これはライターに限った話ではありません。
まとめ:使い捨てライターが映し出すもの
使い捨てライターは、
便利さの象徴であると同時に、
モノを大切にしなくなった時代の象徴でもあります。
火をつけるという行為が、
あまりにも軽くなった今、
私たちはその「終わり方」まで考えているでしょうか。
この小さなライターは、
昭和から現代へと続く
利便性と責任の関係を、静かに問いかけています。

二十歳の頃、初めてパーマをかけた美容院からもらったのが「使い捨てライター」でした。それがきっかけで喫煙が始まってしまった・・・

