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「どうも」は魔法の言葉か、それとも手抜きか?――高橋圭三から「どーもくん」世代まで

「どうも」は魔法か手抜きか?高橋圭三から若者への違和感まで 【二、知恵の棚】

日常で何気なく使っている「どうも」という言葉。

感謝、謝罪、挨拶……。これほど便利な言葉は他にありません。

しかし、便利すぎるがゆえに、時に私たちはこの三文字に甘えすぎてはいないでしょうか。

かつて自分も同じように、この言葉を「盾」にしてきたはずなのに、不思議なものですね。

今回は、昭和の流行から現代の違和感まで、この「どうも」という言葉の裏表を少し深掘りしてみたいと思います。

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挨拶の「全部入り」という、不思議なで便利な言葉

「どうも」ほど、便利な言葉はありません。

「こんにちは」であり、「ありがとう」であり、「すみません」でもある。

昭和から平成、令和へと時代が移ろっても、私たちはこの三文字だけで、なんとなく人間関係の角を丸くしてきました。

でも、便利すぎるがゆえに、私たちは「本当の気持ち」を伝えることをサボっていないでしょうか?

「どうも」の語源にある、本来の重み

実は「どうも」の語源は、「どう(如何)にも……(できない)」という、にっちもさっちもいかない状態を指す言葉です。

「どうも、お礼の言葉が見つからない(ほど感謝している)」

「どうも、言い訳のしようがない(ほど申し訳ない)」

本来は、溢れる想いが強すぎて言葉にならない時に使われていた、非常にエネルギーの強い言葉だったのです。

昭和の「どーも、どーも」はご機嫌な合言葉だった

かつてテレビで高橋圭三アナウンサーが

「どーも、どーも、どーも」と軽快に登場していた時代。

あの言葉には、どこか景気の良さや、場をパッと明るくする華やかさがありました。

昭和の司会者が「どうも、どうも」と視聴者に話しかけている

私も若い頃、深い意味なんて考えずに、あのリズムに乗せて「どうも!」と口にしていたものです。

都合の悪い時や、言葉に詰まった時、とりあえず「どうも」と言っておけば、なんとなくその場が丸く収まる……。そんな便利な「逃げ道」でもありました。

「お前はどーもくんか?!」――若者の挨拶に覚える違和感の正体

ところが、自分が年齢を重ねてみると、景色が変わります。

自分よりひと回りもふた回りも若い人から、挨拶代わりに「どうも」と一言だけで済まされると、正直あまり良い気はしません。

「お前はどーもくんか?!」

と心の中でツッコミを入れたくなる。(苦笑)

部下から「どうも」と言われて困惑する上司

もちろん、自分も若い頃はこの言葉を「盾」にして逃げていた自覚はあります。

だからこそ、今の若い人の「どうも」の中に、言葉を尽くすことを放棄したような「手抜き」を感じてしまうと、余計に気になってしまうのかもしれません。

「どうも」の後に続くはずの、見えない言葉

語源を辿れば「どうも、お礼の言葉が見つからない」といった、溢れる想いの「省略形」だったはずのこの言葉。

便利な道具も、使いすぎるとただの「記号」になってしまいます。

若い頃に便利に使っていたからこそ、今はその「便利さ」の裏にある「危うさ」も分かります。

一言「どうも」の後に、「ありがとうございます」や「お疲れ様です」を添えるだけで、言葉にちゃんと体温が宿るのです。

店主の独り言

「どうも」は、言わばコミュニケーションのショートカットキーです。

でも、たまには遠回りをして、ちゃんとした言葉を選んでみる。

そんな心の余裕が、大人には必要なのかもしれません。

……なんて言いながら、私もつい「どうも!」で済ませてしまうことがあるのですが(苦笑)。

言葉と心の不思議な関係

私たちが便利に使っている言葉の裏には、実は伝えきれなかった「本当の想い」が隠されているのかもしれません。
言葉を省略してやり過ごすことも、時には必要です。
しかし、心に溜まった感情や忘れられない記憶は、ただやり過ごすだけでは整理がつかないこともあります。言葉の意味を噛み締め、心のストレージをパンクさせないために。
記憶とどう向き合い、どう整理していくべきか……。
こちらの記事で、言葉と心の不思議な関係について紐解いています。
https://word-chi.ryu-bow.com/3974.html
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