日曜の午前10時だけは、みんな本気でした
昭和40年代の後半。
小学生だった私たちには、一週間の中で特別な時間がありました。
それが、日曜日の午前10時です。
その時間になると、さっきまで空き地で野球をしていた友達も、秘密基地で遊んでいた仲間も、まるで合図を受けたように一斉に家へ走って帰っていくのです。
目当てはもちろん、仮面ライダーでした。
テレビから流れる主題歌。
変身のポーズ。
怪人との戦い。
そして最後に悪を打ち倒す、あの鮮やかな決着。
あの時間は、子どもだった私たちにとって、ただのテレビ番組ではありませんでした。
生活の一部というより、むしろ生活そのものに食い込んでくるような、特別な存在だった気がします。

して放送が終わると、みんな何事もなかったように再び空き地に集まります。
ただしその時には、もう普通の子どもではありません。
それぞれが頭の中で変身を終えた「仮面ライダー」になっていたのです。
空き地は、そのまま秘密基地であり戦場でした
仮面ライダーごっこが始まると、当然ながら全員がヒーロー役をやりたがります。
怪人役はどうしても人気がありません。
誰が1号で、誰が2号か。
誰がショッカー戦闘員になるか。死神博士は?
そんなことを言い合いながら、空き地は一気に戦場へ変わっていきました。
ライダーパンチ。
ライダーキック。
そして、子どもなりに考えたオリジナルの必殺技まで飛び出します。
今思えば、かなり危ない遊びです。
でも、あの頃の私たちにとっては、本気も本気。
ただの真似事ではなく、「本当にヒーローになっているつもり」だったのです。
私ももちろん、その輪の中にいました。
仮面ライダーになりたくて仕方がない、どこにでもいる昭和の子どもでした。
「トゥッ!」の一声で、私は現実に戻されました
特に憧れていたのは、仮面ライダーがピンチの場面で高いところから飛び降りる、あの印象的なシーンです。
ヒーローは高い場所からでも恐れず跳ぶ。
そして華麗に着地し、そのまま敵を蹴散らしていく。
あれが、とにかく格好よかった。
ですから、私もやりたくなったのです。
秘密基地の裏手に、ちょっとした高い場所がありました。
子どもの目には、それが十分「飛び降りる場所」に見えたのでしょう。
私は心の中で、いや、たぶん口にも出していたと思います。
「トゥッ!」
気分は完全に仮面ライダーでした。
ところが、テレビの中のヒーローと現実の私とでは、話がまったく違います。
跳んだまではよかったものの、見事に着地に失敗しました。
足首に走る痛み。
そして、思わず顔がゆがむほどの嫌な感覚。
あの瞬間、私は変身どころか、ただの無茶をした子どもに戻ってしまいました。
改造人間になりたかった、あの日の気持ち
その日はもう、仮面ライダーごっこどころではありませんでした。
痛みと悔しさでいっぱいでした。
病院で治療を受けながら、子ども心に本気で思ったのを覚えています。
「改造人間になれたら、こんな怪我しないのに」
今となっては苦笑いするしかありませんが、あの頃の私は本気でした。
それくらい、仮面ライダーの強さに憧れていたのです。
ただ強いだけではなく、どんな時でも悪に立ち向かうあの姿。
自分もそうなりたい、と素直に思っていました。
子どもというのは、本当に真っすぐです。
格好いいと思ったものを、理屈抜きでそのまま信じてしまう。
でも、その真っすぐさは、今思えば少しまぶしいくらいです。
幼い頃に抱いた「強くなりたい」という気持ちは、その後もどこかで続いていたのかもしれません。
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ブロマイド欲しさに買った「仮面ライダースナック」
空き地でのごっこ遊びと同じくらい、夢中になったものがもう一つありました。
それが、近くのお店で売られていた「仮面ライダースナック」です。
たしか30円か50円くらいだったでしょうか。
子どもの小遣いでも何とか手が届く値段でした。
とはいえ、私たちの目的はスナックではありません。
おまけについてくる「ブロマイド」でした。
袋を開ける瞬間の、あのドキドキ感。
仮面ライダーが出れば大当たり。
ショッカー戦闘員や怪人だと、少しだけがっかり。
そんなことで一喜一憂しながら、みんなで買いまくったものです。
今思えば、スナックのほうは二の次で、ろくに味も覚えていません。
それでも、あの紙切れ一枚に、あれだけ心を動かされていたのですから、不思議なものです。
空き地でヒーローになりきり、店先でブロマイドに一喜一憂する。
あの頃の私たちは、本気で仮面ライダーの世界の中に生きていました。
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昭和のヒーローは、善と悪がはっきりしていました
仮面ライダーに限らず、昭和のヒーローものには共通したわかりやすさがありました。
それは、「勧善懲悪」です。
悪いものは悪い。
正義はそれを倒す。
最後は必ず、正しい側が勝つ。
今の作品のように、悪役にも事情があったり、ヒーロー自身が迷ったり、正義そのものが揺らいだりすることは、当時はそれほど前面には出てきませんでした。
もちろん、今の複雑な物語にも面白さがあります。
むしろ大人になると、単純な善悪だけでは割り切れない話のほうに惹かれることも増えます。
それでも時々、あの頃のヒーローが持っていた
「正しいことは正しい」
という、あの迷いのなさが恋しくなるのです。
子どもの頃の私は、仮面ライダーを見ながら、知らず知らずのうちに
「悪いことをしてはいけない」
「困っている人を助ける側に立ちたい」
そんな、ごく基本的な感覚を学んでいたのでしょうね。
また、子どもの頃に感じた「弱さ」や「劣等感」は、大人になってからの自分の在り方にも影響しているのは間違いありません!
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令和の今だからこそ、あの単純さが少し懐かしい
時代はずいぶん変わりました。
令和のヒーローものは、より複雑で、より多面的です。
それはそれで、今の時代らしい進化だと思います。
善と悪の境目が曖昧な現実を映している、と言えるのかもしれません。
けれど、だからこそ思うのです。
昭和のヒーローが教えてくれた
「正義の側に立つ」
という、あのシンプルな感覚は、案外今の時代にも必要なのではないかと。
「トゥッ!」と跳んで、足をくじいたあの子どもは、結局ヒーローにはなれませんでした。
でも、正義に憧れた気持ちだけは、どこかに残ったまま大人になった気がします。
まとめ
日曜の午前10時。
仮面ライダーのために空き地から家へ走って帰った、あの頃の私たち。
放送が終わればまた空き地に集まり、テレビで見たばかりのヒーローになりきって遊ぶ。
あれは昭和の子どもにとって、何とも贅沢で真剣な時間でした。
そして私は、「トゥッ!」と跳んで足首をくじくことで、テレビの中と現実の違いを痛みで学びました。
けれど、その失敗も含めて、今ではすっかり大事な思い出です。
正義に憧れ、強さに憧れ、本気で仮面ライダーになれると思っていたあの頃。
そんなまっすぐな時間が、自分の中に確かにあったことを、今はどこか誇らしく思います。
あの仮面ライダースナックのブロマイドも、どこかで失くしてしまいましたが、
手にした時のあの高揚感だけは、今でもはっきり覚えています。
皆さんの心の中には、どんなヒーローが住んでいましたか。
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