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【昭和の風景】地震・雷・火事・「雷おやじ」 — 他人の子を本気で叱った、お節介で逞しい大人たち

地震雷火事親父の意味とは?昭和の「雷おやじ」が果たした街の役割 昭和レトロ慣用句/絶滅危惧語

「地震・雷・火事・親父」。

今あらためて並べてみると、どこかユーモラスにも聞こえるこの言葉ですが、昭和の子どもにとっては、決して冗談ではありませんでした。

地震や雷、火事と同じ列に並べられる「親父」は、決して自分の父親だけを指していたわけではありません。
それは、街に必ず一人はいた、あの“怖い近所のおじさん”の総称でした。

今の街は静かです。
でも、昭和の路地裏には、どこからともなく突然飛んでくる、

「コラァ!!」

という怒鳴り声が、日常のBGMのように響いていました。

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街の「安全装置」としての怒声

人んちの塀に勝手に登る。
空き地で騒ぎすぎる。
挨拶をしないまま通り過ぎる。

そんな時、決まって現れるのが「雷おやじ」です。

理屈の説明はありません。
理由を聞く余地もありません。

ただ一言、

「何やってんだ!」

その声には、不思議な迫力がありました。
体が勝手にビクッと反応し、背筋が伸びる。
今思えば、教育というより条件反射に近い恐怖だったのかもしれません。

でも、あの怒声があったからこそ、
「やってはいけない一線」が、言葉よりも先に体に刻まれていった気もします。

雷おやじは、法律でも規則でもない、
街に組み込まれた“安全装置”のような存在でした。

共通の「敵」が生んだ、子どもたちの連帯感

雷おやじは、子どもたちにとって間違いなく「敵」でした。

だからこそ、妙な連帯感も生まれます。

今日はあのおじさん、外にいるか?
今なら通れるか?
誰かが偵察に行く。

もし見つかって怒鳴られたら、全員で一斉に逃げる。
息を切らしながら物陰に隠れて、顔を見合わせてクスクス笑う。

「やべーな」
「見つかったな」

怖かったはずなのに、なぜか少し楽しい。

雷おやじの存在が、
子ども同士を“同じ側”にまとめていたのも、確かでした。

「親父」という序列と、説明のない距離感

自分の親父に怒られるのも怖い。
でも、近所のおじさんに怒られるのは、また別の怖さがありました。

そこには、恥ずかしさが加わります。

家族ではない。
なのに叱られる。
しかも、かなり本気で。

けれど不思議なことに、怒鳴り散らした後、急に態度が変わることもありました。

「もういい、行け」
「気をつけろよ」

時には、ポケットから飴玉を出してくれることすらあった。

何が正解で、何が不正解なのか。
なぜ怒られ、なぜ許されたのか。
説明は一切ありません。

今の「指導」や「論破」とはまるで違う、
感情がむき出しのぶつかり合い。

あれは理屈ではなく、
人と人がその場でぶつかる、原始的な関係だったのだと思います。

まとめ:監視ではなく「見守り」だったのか

正直に言えば、
雷おやじは、うるさくて、怖くて、面倒な存在でした。

今の感覚で言えば、
通報されてもおかしくない場面も、いくらでも思い当たります。

でも一方で、
「誰かが見ている」という感覚が、確かに街にはありました。

良いことも、悪いことも、
誰かの目に触れる。

それは窮屈でもありましたが、
同時に、自分が街の一員として存在している証でもあったのかもしれません。

あの怒鳴り声は、
単なる威圧ではなく、

「ここにいるなら、ちゃんと生きろ」

という、乱暴で不器用なメッセージだったのではないでしょうか。

地震、雷、火事、そして雷おやじ。

どれも怖かったけれど、
確かに、あの頃の街を形作っていた存在でした。

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