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【昭和の風景】チンドン屋がやってきた! 鉦と太鼓が鳴り響く、商店街の「魔法の時間」

昭和の商店街を彩ったチンドン屋「究極の街頭広告」の記憶 昭和レトロ慣用句/絶滅危惧語

遠くのほうから、
「チン、ドンドコ、チン……」
そんな音が、風に乗って聞こえてくる。

最初は、気のせいかと思う程度。
けれど、だんだんはっきりしてくる不規則なリズムに、胸がそわそわし始める。

――来る。
何かが、来る。

昭和の街にとって、チンドン屋の音は、
日常にぽっかりと穴を開ける「祭りの合図」でした。

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五感を揺さぶる、究極のアナログ広告

チンドン屋は、ただの宣伝ではありません。

鉦(かね)の高い音、
太鼓の腹に響く低音、
ときどき混じるクラリネットやサックス。

それに、目に飛び込んでくる極彩色の衣装。
白塗りの顔、時代を無視したような派手な着物。

スピーカーから流れる整った音ではなく、
生身の人間が奏でる、少しズレたリズム

だからこそ、
足が止まり、
顔が上がり、
街全体がざわっと色づく。

チンドン屋は、
街そのものを舞台に変えてしまう
移動式エンターテインメントだったのです。

なぜか物悲しい、チンドンの旋律

不思議なことに、
あれだけ賑やかなのに、
チンドン屋の音には、どこか哀愁がありました。

特に夕方。

用事を終え、
ゆっくりと遠ざかっていく後ろ姿。

音はだんだん小さくなり、
やがて、街のざわめきに溶けて消えていく。

まるで、
短い夢が終わってしまう瞬間のような寂しさ。

チンドン屋は、
「終わりが見えているからこそ美しい娯楽」だったのです。

足を止める心の余裕を、私たちは失った?

今の街には、広告が溢れています。
スマホを見れば、常に何かが表示される。

けれど、
立ち止まって、
耳を澄ませて、
「何だろう?」とワクワクする時間は、どれだけ残っているでしょうか。

かつて私たちは、
チンドン屋を追いかけ、
用事も忘れ、
ただ音と色に身を任せていました。

それは無駄な時間で、
だからこそ、豊かな時間でした。

街には、
あんな「粋な騒がしさ」が必要だったのかもしれません。

まとめ:街が、生きていた証拠

チンドン屋は、
効率でも、正確さでもありません。

人の足を止め、
心を揺らし、
街に「今日はちょっと特別だ」という空気を運んできた存在でした。

遠くから聞こえてきた、
あの不揃いな音。

それは、
昭和の街が、確かに生きていた証拠だったのです。

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