あの頃、私は本気で世界を救える気がしていた
昭和の終わり頃でしょうか。
世の中には、一曲で空気を変えてしまうような歌がありました。
その代表が、
「We Are The World(ウィ・アー・ザ・ワールド)」
です。
まずは、その伝説の映像をぜひご覧ください。
イントロが流れるだけで、あの時代の空気が一気によみがえります。
U.S.A. For Africa – We Are the World

アフリカの飢餓を救うために、アメリカのスターたちが集まって作ったチャリティーソング。
今振り返っても、あれほどの顔ぶれが一つの歌に並んだのは、まさに事件のような出来事でした。
マイケル・ジャクソン、ライオネル・リッチー、スティーヴィー・ワンダー、ボブ・ディラン……。
名前を並べるだけでも胸が熱くなります。
私はあの曲が好きでした。
いや、「好きだった」では少し足りませんね。
かなり夢中になっていました。
テレビでレコーディング風景や関連番組を見ては興奮し、ほどなくレコードを買い、カセットテープにダビングして何度も聴いていました。
当時の私にとって、それはただの流行歌ではなく、まさに“時代の宝物”のような一曲だったのです。

古いアパートにも、若さだけはあふれていた
就職して二年目の頃でした。
私は長くいた下宿を出て、家賃の安い古いアパートに移りました。
建物はかなり年季が入っていて、壁も薄い。
今思えば、音なんてほとんど筒抜けだったのでしょう。
けれど当時の私は、そんなことよりも
「ついに自分の城を持った」
という気分のほうがずっと大きかったのです。
狭くても、古くても、自分だけの部屋。
誰にも気兼ねせず、好きな音楽を聴ける。
若い頃の自由というのは、それだけで妙に胸がふくらむものですね。
ある夜、私はいつものように「ウィ・アー・ザ・ワールド」をカセットデッキに入れ、ヘッドフォンを耳に当てました。
イントロが流れ、ライオネル・リッチーの歌声が始まり、次の歌い手へとつながっていく。
あの豪華なバトンリレーを聴いているだけで、こちらまで特別な場所に連れていかれるような気がしたものです。
ヘッドフォンの中では、私もスターの一員だった
ヘッドフォンをつけると、不思議なものです。
外の世界が少し遠くなって、自分だけが音楽の中心にいるような気になります。
あの夜の私は、まさにそうでした。
サビが近づくにつれて、気分はどんどん高まっていきます。
「We are the world, We are the children…」
すると、もうじっとしていられません。
私は目を閉じ、体を揺らし、頭を左右に振りながら、一緒になって歌い始めていました。
今なら言えます。
あれは歌うというより、ほとんど“なりきり”でした。
スティーヴィー・ワンダーにでもなったつもりだったのか。
あるいは、水族館のステージでご機嫌に揺れているオットセイのようだったのか。
とにかく私は、気持ちよくなりすぎていたのです。
しかもヘッドフォンをしているものですから、自分の声がどれだけ外に漏れているか、まるでわかっていません。
自分では「小さく口ずさんでいる」つもりでも、実際にはかなりの音量で歌っていたのでしょう。

若さというのは、本当に恐ろしいものです。
あの「ドンドン!」で、一気に現実へ戻された
その時でした。
ドン、ドンドン!
玄関のドアを叩く音がしました。
最初は、曲の一部か何かと勘違いしました。
それくらい私は自分の世界に入り込んでいたのです。
しかし、その音は止まりません。
むしろどんどん強くなる。
そしてついに、怒気を含んだ声が扉の向こうから飛んできました。
「静かにしてもらえませんか!」
隣の部屋の方でした。
その一言で、私は一気に現実に引き戻されました。
慌ててヘッドフォンを外した瞬間、部屋の静けさと、自分がしでかしたことの大きさが一度に押し寄せてきたのを覚えています。
ドアを開けた瞬間、耳まで真っ赤になった
私は心臓をバクバクさせながら、そっと玄関のドアを開けました。
そこに立っていたのは、明らかに眠りを邪魔されて腹を立てている隣人でした。
その表情を見た瞬間、言い訳など一つも浮かびませんでした。
夜中の静まり返った古いアパート。
壁の薄さを考えれば、私の“なりきり熱唱”が隣に丸聞こえだったのは当然です。
思えば、こちらは世界平和だの飢餓救済だの、崇高な歌に酔っていたつもりでも、隣の人からすればただの騒音です。
名曲も、夜中に大声で歌われれば迷惑でしかありません。
私はもう、
「すみません……本当にすみません……」
と謝るしかありませんでした。
あの時の恥ずかしさは、今でも思い出せます。
顔だけでなく、耳の奥まで熱くなるような、あの感じです。
名曲の余韻より重かった、あとの静けさ
隣人が部屋へ戻ったあと、そこには何とも言えない静けさが残りました。
さっきまでヘッドフォンの中で鳴り響いていた壮大なコーラスも、もう耳には入ってきません。
私はデッキを止め、狭い部屋の真ん中で、ただしばらく立ち尽くしていました。
音楽に夢中になるのは悪いことではない。
でも、夢中になりすぎると周りが見えなくなる。
あの夜、私はそれを古いアパートの一室で、身をもって学んだわけです。
若い頃の失敗というのは、後から思い返すと笑えることも多いですが、その場では本当に堪えますね。
あの時の私は、「消えてなくなりたい」とまでは言いませんが、少なくとも数日は隣人に顔を合わせたくありませんでした。
今思えば、あれも若さの証拠だったのかもしれない
あれからずいぶん長い年月がたちました。
今でも「ウィ・アー・ザ・ワールド」を耳にすると、あの夜のことを思い出します。
名曲への感動より先に、ドアを叩く音と、隣人の怒った声がよみがえるあたりが、なんとも情けないところですが。
けれど同時に、ああいう失敗ができたのも、若かったからだろうなとも思うのです。
音楽に本気で感動し、体ごと揺さぶられ、周りが見えなくなるほど夢中になる。
今ならもう少し理性が勝つでしょうが、あの頃はそういう勢いが確かにありました。
もちろん、隣人に迷惑をかけたことは反省しなければなりません。
ただ、それでもあの夜の失態は、私の中では単なる黒歴史ではなく、若さの温度が刻まれた記憶でもあるのです。
まとめ
昭和の古いアパートで、ヘッドフォンをつけたまま「ウィ・アー・ザ・ワールド」を熱唱し、隣人に怒られた――。
今となっては苦笑いするしかない失敗談です。
けれど、あの恥ずかしさもまた、音楽に本気で心を動かされていた時代の証だったのかもしれません。
人は誰でも、思い出すと耳が熱くなるような失敗を一つや二つ抱えているものです。
でも、そういう記憶ほど、案外その人らしさが詰まっているのかもしれませんね。
皆さんの心の引き出しにも、
「思い出すだけで少し赤面する、けれど嫌いになれない失敗談」
がしまっているのではないでしょうか。
☕ 店主の「あの一曲」をもう一度あの夜、壁の向こうの静寂に冷や汗をかいた私ですが、還暦を過ぎた今でもこの曲を聴くと、当時の熱気と少しの苦笑いが込み上げてきます。もし、あなたもあの頃の感動をもう一度、今度は「適切な音量」で(笑)じっくり味わいたいなら、こちらの作品が本当におすすめです。当時の制作秘話を知ると、あの歌声がもっと深く心に響くはずですよ。
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