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【昭和の夜の、大失態】「ウィ・アー・ザ・ワールド」に酔いしれて――隣人の拳が教えてくれた静寂の重み

【一、思い出の引き出し】

昭和50年代後半。当時の若者たちの耳を釘付けにしたのは、海の向こうからやってくる洋楽の熱狂でした。

中でも、1985年(昭和60年)の前夜、世界中の耳を揺さぶったのが

「ウィ・アー・ザ・ワールド(We Are The World)」です。

アフリカの飢餓救済のために、マイケル・ジャクソン、スティーヴィー・ワンダー、ボブ・ディランといった、本来なら一つの画面に収まるはずのない超豪華アーティストたちが集結しました。

一夜限りのレコーディングに挑む彼らのドキュメンタリー番組を、私は食い入るように見つめたものです。

音楽の持つ圧倒的な力に魅了された私は、すぐにレコードを買い、愛用のカセットテープにダビングしました。それは、当時の私にとって何よりも大切な「最新の宝物」でした。

we are the worldの収録風景

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狭いアパートと、ヘッドフォンの中の自由

就職して2年目。私はそれまでお世話になった下宿を出て、古くて家賃の安いアパートへ引っ越したばかりでした。

壁は薄く、設備も年季が入っていましたが、自分の城を手に入れた自由さは、何物にも代えがたい喜びでした。

とある夜のことです。

私はお気に入りのカセットテープをデッキに入れ、ヘッドフォンを装着しました。

ヘッドフォンの中では、ライオネル・リッチーの歌い出しから始まり、スティーヴィー・ワンダーのソウルフルな歌声へとバトンが渡されます。

「We are the world, We are the children..」♪

壮大なサビに差し掛かると、私の興奮は最高潮に達しました。

ヘッドフォンで外の世界の音が遮断されているのをいいことに、私は完全に自分の世界へと没入していきました。

 スティーヴィーになりきった「オットセイ」

私は目を閉じ、スティーヴィー・ワンダーのように、あるいはリズムに身を任せる水族館のオットセイのように、左右に頭を振りながら歌っていました。

we-are-the-worldに酔いしれる若者

ヘッドフォンをしているため、自分の声がどれほどの大きさで漏れているか、周りにどう響いているかなど、全く頭にありませんでした。

その時です。

ドン、どんどん!

玄関のドアを叩く、激しい音が聞こえてきました。

最初は曲のリズムかと思いましたが、音は次第に強くなり、ついには怒気を含んだ怒鳴り声が、ドアを突き抜けて響いてきました。

「静かにしてもらえませんか!」

それは、隣の部屋の住人でした。

扉を開けた瞬間の「冷や汗」

ハッと我に返った私は、慌ててヘッドフォンを外し、心臓をバクバクさせながらドアを開けました。 そこには、明らかに睡眠を妨げられ、憤慨した表情の隣人が立っていました。

夜中の静まり返ったアパートで、私の「なりきりスティーヴィー」の歌声は、壁を越えて筒抜けだったのです。

「す、すみません……本当にすみませんでした……

真っ赤になりながら、蚊の鳴くような声で謝るのが精一杯でした。

隣人が去った後の静寂は、それまでの名曲の余韻をかき消すほどに重く、私はただただ自分の羞恥心と向き合うしかありませんでした。

恥ずかしさは、情熱の足跡

あれから四十年以上の月日が流れました。

今でも「ウィ・アー・ザ・ワールド」が流れてくると、あの時ドアを叩かれた振動と、隣人の怒った顔、そして自分の不器用な若さを思い出し、少しだけ耳の奥が熱くなります。

昭和の古いアパートでの、あの恥ずかしい夜。

それは、音楽に対して、そして人生に対して、がむしゃらに感動できた若き日の証でもあります。

「なんだかんだ商店」の店主となった今、私は思います。 「余裕のよっちゃん」で失敗した時も、歌いすぎて怒られた時も、そのすべてが今の自分を形作る大切なピースだったのだと。

皆さんの「思い出の引き出し」には、どんな恥ずかしいメロディが仕舞われていますか?

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