昭和の夏の台所や商店街を思い出すと、必ずと言っていいほど、視界の端に揺れていたものがあります。
天井から、ひも一本でぶら下がる、茶色い細長いリボン。
それが「ハエトリ紙」でした。
扇風機の風や、人が通るたびにふわりと揺れるその姿は、決して美しいものではありません。
むしろ、今の感覚で見れば、少し不気味で、少し生々しい存在だったかもしれません。
それでも、あのハエトリ紙は、昭和の暮らしにとって欠かせない「戦場の装備」だったのです。

筒から引き出す、あの一瞬の緊張感
ハエトリ紙は、まず筒に入っていました。
紙製の、細長い筒です。
あの筒を開け、慎重に中身を引き出す瞬間。
今思い返しても、独特の緊張感がありました。
・勢いよく引くと、途中で切れてしまう
・指にくっついたら、もう終わり
・床や服についたら、取れない
そんなリスクを十分に理解したうえで、
ゆっくり、ゆっくりと紙を伸ばしていく。
あの作業は、まるで「失敗の許されない儀式」のようでした。
子どもが勝手に触ると、たいてい叱られたものです。
そして、画鋲で天井に留める。
その瞬間、そこはもう「戦場」になりました。
見えない敵を、見える形で捕まえる
今の害虫対策は、とても静かです。
スプレーをひと吹きすれば、あとは何も残りません。
けれど、ハエトリ紙は違いました。
捕まえた成果が、すべて目に見える。
一匹、また一匹と、確実に「戦績」が積み上がっていく。
それは、少し残酷で、少し生々しい光景でもありました。
ですが同時に、
「ちゃんと効いている」
「ちゃんと守れている」
という、確かな安心感も与えてくれました。
昭和の台所や店先には、
結果を隠さず、受け止める強さがあったように思います。
魚屋さんの軒先に揺れていた理由
ハエトリ紙といえば、魚屋さんや八百屋さんの店先を思い出す方も多いでしょう。
生魚や青果が並ぶ場所には、どうしてもハエが集まります。
それは不潔だからではなく、本物の食材がそこにある証拠でもありました。
魚屋の店先で、風に揺れるハエトリ紙。
包丁を持つ手を止めることなく、静かに仕事を続ける店主。
あの光景は、
・衛生を守りながら
・商売を止めず
・自然とも折り合いをつける
そんな、昭和の商人の知恵と覚悟を象徴していたように思います。
ベタベタは、昭和の精神性だった
ハエトリ紙の最大の特徴は、何と言っても「ベタベタ」です。
一度くっついたら、もう離れない。
中途半端では終わらせない、あの粘着力。
それは、どこか昭和の人間像とも重なります。
・一度決めたらやり抜く
・簡単には手放さない
・泥臭くても、最後まで粘る
今の暮らしは、とてもサラサラしています。
便利で、清潔で、効率的です。
けれど、その分、
あの「ベタベタした執念」のようなものは、確かに薄れてしまったのかもしれません。
見えなくなった「生き物との距離」
ハエトリ紙が消えた理由は、はっきりしています。
・殺虫剤の進化
・住宅の高気密化
・不快なものを視界から排除したい感性
私たちは、
生き物の死や、不都合な現実を、できるだけ「見えない場所」に追いやるようになりました。
それ自体が悪いわけではありません。
ですが、昭和の台所には、
「不快なものも含めて、暮らし」
という覚悟があったように思います。
まとめ:天井からぶら下がっていた、生活の旗印
ハエトリ紙は、美しい道具ではありませんでした。
誇れる存在でもなかったかもしれません。
それでも、あれは確かに、
・夏を乗り切るための知恵
・家や店を守るための覚悟
・生活の現実と向き合う姿勢
を、天井から静かに示していました。
もし今、あのハエトリ紙を見たら、
多くの人は顔をしかめるでしょう。
けれど私は思います。
あのベタベタには、
昭和の暮らしの「逞しさ」と「正直さ」が、しっかり刻み込まれていたのだと。
天井から揺れていた、あの茶色いリボン。
うっかり髪の毛をくっつけてしまった時の、
あの絶望感を、覚えています。
それもまた、
昭和の夏の、忘れられない一場面でした。
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