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「情けは人の為ならず」の本当の意味とは?誤解していた私が今も少し引っかかる理由

ことわざ
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「逆の意味」で覚えていた頃の私

「情けは人の為ならず」ということわざ。
皆さんは、どんな意味で覚えてこられたでしょうか。

実を言いますと、私は長いこと、この言葉を反対の意味で受け取っていました。


つまり、「人に情けをかけると、その人のためにならない。甘やかすことになる」と思っていたのです。

今になって振り返ると、ずいぶん思い込みが強かったなあと苦笑いしたくなります。

「長年そう信じていたが、実は違った」と気づく中年男性
けれど、昭和の空気の中で育った人間には、「優しさより厳しさ」「甘やかさないのが本当の愛情」という考え方が、どこか染みついていた気もするんですよね。

ですから、このことわざの本当の意味を知った時は、正直少し意外でした。

「情けは人の為ならず」の本来の意味

このことわざの本来の意味は、
人に親切にしておけば、その行いはめぐりめぐって自分に返ってくる
というものです。

要するに、誰かへの思いやりは、その場限りで終わるものではなく、巡り巡って自分の人生にも良い形で戻ってくる、という考え方ですね。

ところが世の中では私のように、

「情けをかけるのは、その人のためにならない」

という意味で覚えている人も少なくないようですね。

たしかに、こちらの意味のほうが、妙にもっともらしく聞こえるんです。
私自身、ずっとそちらだと思っていたくらいですから。

ことわざというのは面白いもので、言葉の形がやわらかいぶん、時代の空気や育った環境によって、受け取り方まで変わってしまうのかもしれません。

よくある誤解との違い

ここで整理すると、意味の違いはこうなります。

  • 本来の意味
    人に親切にすると、それが巡り巡って自分のためにもなる
  • 誤解されやすい意味
    人に情けをかけると、その人を甘やかしてしまうので良くない

この二つは、似ているようでいて、まったく違います。
前者は「善意はめぐる」を表し、後者は「厳しさも必要」を語っています。

どちらも人間関係の中では一理あるように見えるだけに、混同されやすいのでしょうね。

本来の意味を知っても残る、私の引っかかり

ただ、本当の意味を知ってからも、私はこのことわざに対して、どこか居心地の悪さを覚えることがあります。

というのも、
「自分に返ってくるから人に親切にする」
という考え方に、少し計算高さのようなものを感じてしまうからです。

もちろん理屈としてはわかります。
人に良くすれば、巡り巡って自分も助けられる。
世の中は、そういう持ちつ持たれつでできている面がありますから。

でも、どうも私は


「見返り込みで情けをかける」


という感じが、しっくりこないんですね。

昭和生まれのおっさんの屁理屈かもしれませんが、

親切というものは、もう少し損得抜きであってほしい気がするのです。

「情け」という言葉そのものへの違和感

もう一つ、私が引っかかるのは「情け」という言葉そのものです。

この言葉、どこか相手を下から支えるというより、上から手を差し伸べるような「上から目線」の響きがありませんか。または「同情」されているような。

もし自分が「情けをかけられる側」だったら、ありがたいと思う前に、少し身構えてしまいそうです。
「そこまでしてもらわなくても大丈夫です!」(心の中では余計なお世話だ!)と言いたくなるような、あの感じです。

見返りを期待して親切にするなんて、なんだか下心があるようで居心地が悪い……

「同情するなら金をくれ!」とまでは言いませんが・・・

もちろん、言葉の本来の意味まで否定するつもりはありません。
ただ、時代が変わるにつれて、言葉に含まれる空気や温度も、少しずつ変わっていくものなのかもしれませんね。

今の時代に合う受け止め方とは

長く生きておりますと、自分ひとりで何でもやれるわけではないと、嫌でもわかってきます。
助けてもらったこともありますし、逆にちょっと手を貸したこともあります。

そんな時に思うのは、
「これは後で自分の得になるからやっておこう」
と考えて動くのではなく、もっと自然に手が出る関係のほうが心地いい、ということです。

近すぎず、冷たすぎず。
まさに“いい加減”ではなく、好い加減の距離感でしょうか。

立派な善人になろうとしなくてもいい。
ただ、誰かが困っている時に少し支えたり、自分がつまずいた時にさっと支えてもらえたりする。
そのくらいの関係が、一番長続きするのかもしれません。

見返りではなく、自然な助け合いへ

人とのつながりというのは、計算で動かすと、どうしてもぎこちなくなります。

「これだけしてあげたのだから」
「きっといつか返ってくるはずだ」

そんな気持ちが前に出てしまうと、親切はどこか重たくなってしまいます。

それよりも、目の前の相手が困っているから少し手を貸す。
自分が困った時には、素直に助けを借りる。
そういう自然なやり取りのほうが、よほど人間らしい気がします。

大げさな美談ではなくていいんです。
日々の暮らしの中にある、さりげない気遣い。
私は、そういう助け合いのほうが信用できます。

まとめ

「情けは人の為ならず」は、
人への親切はめぐって自分に返る、という前向きな意味を持つことわざです。

けれど私は、それを知った今でも、少しだけ考え込んでしまいます。
親切を“自分のため”と考えすぎると、どこか打算めいて見えてしまうからです。

だからこそ、このことわざは
「見返りを求めて動け」という話ではなく、
人とのつながりは巡り巡るものだ
くらいに受け止めるのが、ちょうどいいのではないかと思っています。

気負わず、恩着せがましくもならず、けれど冷たくもしない。
そんな自然な助け合いができたら、それがいちばん理想ですね。

還暦を過ぎた男の、少々まわりくどい考えでしたが、
皆さんはこの「情け」という言葉を、どう受け止めておられるでしょうか。

還暦過ぎのおっさんの独り言、いや、屁理屈でした(笑)

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