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「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の意味とは?嫌いな気持ちが広がる心理を振り返る

坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの意味とは?嫌悪感が広がる心理をわかりやすく解説 ことわざ
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「嫌い」が関係ないものにまで広がる不思議

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ということわざがあります。

意味としては、ある人を強く嫌ってしまうと、その人に関係するものまで次々と気に入らなくなってしまう、ということです。

たとえば、その人の持ち物や口ぐせ、まわりにいる人、場合によっては名前を聞いただけでも腹が立つ。
そんなふうに、最初は一人に向いていた感情が、いつの間にか別のものにまで広がっていくわけです。

「嫌い」が関係ないものにまで広がる不思議

理屈では「それとこれとは別だ」とわかっているつもりでも、感情というのはなかなか理屈どおりに動いてくれません。


このことわざは、そんな人間くさい心の動きを、ずいぶんうまく言い当てているなあと感じます。
人の我慢や感情の限界という意味では、「仏の顔も三度まで」とは何を戒める言葉かも、どこか通じるものがあります。

私にも思い当たるところがあります

実を言うと、私はこのことわざを聞くたびに、少々身につまされます。

還暦を過ぎて、昔よりは少し丸くなったつもりではいるのですが、どうも人間そんなに簡単にはできていないようです。

たとえば、ドラマを見ている時のこと。
それまで「この俳優さん、なかなかいいな」と思って見ていたのに、ある作品で実に嫌な役を見事に演じていると、なぜかその俳優さん本人にまで苦手意識が向いてしまうことがあるんです。

冷静に考えれば、それだけ演技がうまいということです。
役柄が憎たらしく見えるほど、その人がしっかり演じきっている証拠でしょう。

それなのに、感情のほうはなかなか素直ではありません。
一度「この役、嫌だなあ」と思ってしまうと、その俳優さんが出てくるだけで、なんとなく身構えてしまう。
我ながら単純だなあと、苦笑いするしかありません。

ドラマの役と俳優本人は別のはずなのに

頭ではわかっているんです。
役は役であって、俳優さん本人とは別だと。

けれど、人間の感情はそこまで器用ではありません。
嫌な役の印象が強ければ強いほど、その人の顔を見るだけで、その役のいやな感じまで一緒に思い出してしまう。

これはきっと、私だけではないと思います。
多かれ少なかれ、誰にでもある心の癖ではないでしょうか。

「袈裟に罪はない」と思えるかどうか

でも、そんな自分に気づくたびに、少し立ち止まって考えることがあります。

憎いのはお坊さんであって、袈裟そのものではない。
言葉にしてしまえば、当たり前のことなんですよね。

袈裟はただの袈裟です。
それ自体に罪はありません。
もしかすると、職人さんが心を込めて仕立てたものかもしれませんし、その背景には別の人の努力や仕事があるのかもしれない。

俳優さんの話でいえば、嫌な役を演じているからといって、その人自身まで嫌うのはやはり違うのでしょう。
むしろ、視聴者の感情をそこまで動かすのですから、大した力量です。

関係のないものまで色眼鏡で見てしまう危うさ

そう考えると、私は自分の感情ひとつで、関係のないものまでまとめて色眼鏡で見てしまっていないか、と反省させられます。

本当は切り分けて見なければいけないものを、ひとまとめにしてしまう。
それは楽ではありますが、少々乱暴でもあります。

相手そのものへの不満と、その人にまつわるすべてを同じ色で塗ってしまうと、見なくていいものまで歪んで見えてしまいます。

 

人は案外、感情でまとめてしまう

人間というのは、思っている以上に単純なのかもしれません。

ひとつ嫌な印象を持つと、その周辺まで全部ひっくるめて「気に入らない箱」に入れてしまう。
物事を細かく分けて考えるより、そのほうが楽だからでしょう。

けれど、その見方を続けていると、本当は別々に見るべきものまで、まとめて見誤ってしまいます。

ひとりの失敗で、その人の全部を否定してしまう。
一度の言い方で、その人の人柄まで決めつけてしまう。
そんなことは、日常の中にも案外よくあります。

感情が広がりすぎていないか、自分に問いかける

だからこそ、このことわざは単なる皮肉ではなく、
「今、感情を広げすぎていないか」
と自分に問いかけるための言葉なのかもしれません。

嫌うこと自体は悪いことではありません。
腹が立つ時はありますし、苦手な相手だっています。

ただ、その感情を無関係なものにまで広げてしまうと、自分の見方まで狭くなってしまう。
そこは少し気をつけたいところです。

皆さんは、こんな狭い心の持ち主じゃありませんよね?(笑)

まとめ

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」は、嫌いという感情が、関係のないものにまで広がってしまう人間の心をよく表したことわざです。

私自身、ドラマの役柄ひとつで俳優さん本人まで苦手に感じてしまうことがありますから、まったく他人事ではありません。

けれど、そこでひと呼吸おいて、
「本当に嫌っているのは何なのか」
「袈裟にまで八つ当たりしていないか」
と考えてみると、少し気持ちの整理がつくことがあります。

感情をなくすことはできません。
腹が立つ時は立ちますし、苦手なものは苦手です。

ただ、その感情をそのまま周囲にまで連鎖させないこと。
それだけでも、人との距離感や物の見え方は、少し変わってくるのではないでしょうか。
気持ちの始末のつけ方という点では、「水に流す」の意味と使い方もあわせて考える余地がありそうです。

自分の未熟さに気づかせてくれるという意味で、私にとってこのことわざは、耳が痛くもあり、それだけに大事な言葉です。

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