思いがけない出来事に出会ったとき、
私たちはとっさに言葉を失います。
——「あっけにとられる」。
誰かの大胆な行動に、
信じられないニュースに、
あるいは、想像を超える光景に出くわしたとき。
驚きよりも、戸惑いが先に立つ。
そんな「心が一瞬止まる」瞬間を、この言葉は静かに表しています。
この記事では、「あっけにとられる」という表現の意味や語源、
似た言葉との違い、そしてそこに見える“人のリアルな感情”を掘り下げていきます。
「あっけにとられる」の意味と使われ方
「あっけにとられる」とは、
あまりに意外なことに出会って、言葉も出ないほど驚くという意味の表現です。

辞書的には、
「意外な事に出会って驚き、呆然とする」
と説明されます。
ただし、ここでの“驚き”は「わっ!」というような瞬間的な反応ではなく、
心が止まって、次の言葉が出てこない状態を指します。
例文で見る使い方
・突然の再会にあっけにとられた。
・まさかの発言に、会場中があっけにとられる。
・彼の無邪気さに、思わずあっけにとられてしまった。
どの例も共通しているのは、
「驚き」+「呆気(あっけ)」+「動けなさ」の三拍子。
つまり、「あっけにとられる」は、
驚きの中に“混乱”や“脱力”のような感情を含む表現なのです。
感情の方向性
興味深いのは、この言葉がポジティブにもネガティブにも使えること。
たとえば:
-
ネガティブな例:「非常識な発言にあっけにとられた」
-
ポジティブな例:「彼の才能にあっけにとられた」
同じ“驚き”でも、
相手に対する“感情の向き”が違うだけで、印象が変わります。
そのため、「あっけにとられる」は感情の余白を残す日本語とも言えます。
驚きの中に、すぐ反応できない静けさがある。
「あっけにとられる」は、心の動きをそのまま切り取った言葉なのです。
「あっけ」の語源と、“あっけにとられる”が生まれた背景
「あっけにとられる」という言葉の中心にある「あっけ」。
この「あっけ」は、実は古い日本語で、“あきれる・ぼうぜんとする”という意味を持っています。
「あっけ」は「呆気」と書く
漢字で書くと「呆気(あっけ)」。
「呆れる(あきれる)」の「呆」と同じ字を使います。
もともとは「呆け(ほうけ)」や「ぼうぜん」と同じ語源で、
思考が止まってしまうような驚きや虚脱感を表していました。
この“呆(あき)”という字には、
「心が抜けてしまう」「ぼんやりする」といった意味が含まれています。
「あっけにとられる」の語感構造
「とられる」は、“とる”の受け身。
つまり、「あっけにとられる」は直訳すると——
「呆気(ぼうぜんとした感覚)に心を奪われる」
という意味になります。
ここでの“奪われる”は、
驚きのあまり思考や言葉を一時的に失う感覚を表しています。
この語感が現代でも自然に残っており、
「心を持っていかれる」「何も言えなくなる」というニュアンスで使われるのです。
江戸時代から残る「呆ける」文化
「あっけにとられる」という表現が定着したのは、江戸時代以降とされています。
当時の文学や浮世草子の中でも、「呆気」「呆れる」「あいた口がふさがらぬ」など、
“あっけ”=人間の抜けた表情や、言葉を失う姿を描写する表現が多く登場します。
たとえば:
「呆気にとられて声も出ず」
——井原西鶴『日本永代蔵』(江戸前期)
このように、“あっけにとられる”は古くから使われてきた表現で、
日本人の「驚き方」を最も自然に表した言葉の一つなのです。
「あっけ」とは、驚きの中にある“無音の一瞬”。
声を出す前の静けさこそ、人の感情の深さを語るものです。
「あきれる」「ぽかんとする」との違い
「あっけにとられる」は、「あきれる」「ぽかんとする」と似た場面で使われます。
しかし、3つの言葉にはそれぞれ感情の方向と時間の流れに違いがあります。
「あっけにとられる」——驚きと呆然の中間
意外な出来事に出会って、思考が止まる。
この言葉の中心にあるのは、驚き+戸惑い。
感情の方向はまだ定まっておらず、
「怒るでも笑うでもなく、ただ呆然としている」状態です。
👉感情が“止まっている”瞬間の描写。
例:
-
彼の大胆な告白にあっけにとられた。
-
まさかの展開に、全員があっけにとられて黙り込んだ。
「あきれる」——驚きが“呆れ”に変わる
理解できない行動や言葉に、あきれ返る。
「あきれる」は、あっけの“次”に来る感情です。
驚きが整理され、「どうしてそんなことを…」という否定的な感情が生まれています。
👉感情が“判断”に変わる段階。
例:
-
彼の無責任さにはあきれる。
-
あきれるほどポジティブだね。
ここには、少しの批判・皮肉・距離感が含まれています。
「ぽかんとする」——心も表情も空白になる
予想外のことに出会って、口を開けてぼんやりする。
「ぽかん」は擬態語で、身体的な反応を伴います。
頭が真っ白になる、口が開く、まばたきも忘れる——。
一瞬、世界との接続が切れるような感覚です。
👉感情よりも“身体の反応”を描く表現。
例:
-
驚きすぎてぽかんとしたまま見つめていた。
-
子どもがぽかんと空を見上げている。
3つの違いをまとめると
| 表現 | 感情の中心 | 反応の種類 | ニュアンス |
|---|---|---|---|
| あっけにとられる | 驚き+戸惑い | 心が止まる | 一瞬の沈黙 |
| あきれる | 驚き+否定 | 判断・感情 | 呆れた評価 |
| ぽかんとする | 驚き+空白 | 身体反応 | 表情・動作中心 |
「あっけにとられる」は、“驚き”と“呆れ”の中間にある。
感情が固まる前の“空白の一秒”を、そのまま言葉にしたような表現です。
まとめ:「あっけにとられる」が映す“人間らしい間”
「あっけにとられる」という言葉には、
驚きや戸惑いの中で感情が追いつかない“間”が表れています。
現代社会では、驚いてもすぐに言葉で反応することが求められがちです。
SNSでも、ニュースでも、私たちは何かを“即座にコメントする”癖がついています。
でも、「あっけにとられる」には、反応できない美しさがあります。
それは、心がまだ何かを受け止めきれていないという“誠実さ”の現れ。
一瞬の沈黙の中に、人間らしい深さが宿るのです。
驚きの中にある、静かな思考
「あっけにとられる」状態は、
感情を整理するための心のクッションのような時間。
理解が追いつかないことを無理に言葉にせず、
ただその場に立ち尽くす——それだけで、
人は“何か大切なもの”を感じ取っています。
その静けさこそが、日本語の持つ繊細な表現力。
「間(ま)」を感じる文化が生んだ、人の心理に寄り添う言葉なのです。
「驚く」と「受け止める」のあいだ
驚くことは一瞬。
でも、受け止めるには少し時間がかかる。
「あっけにとられる」という言葉は、
その“あいだ”の心の揺れをそのまま残してくれます。
だからこそ、誰かがそうなっているのを見たとき、
私たちは自然と共感してしまうのです。
「あっけにとられる」は、驚きの中の沈黙。
言葉よりも早く、心が反応している瞬間。
そこにあるのは、ただ“人間らしさ”という優しい間。

