昭和40年代後半から50年代にかけて、テレビ画面の中を猛烈なスピードで滑走する集団がいました。「日米対抗ローラーゲーム」です。
急傾斜のトラックを、ローラースケートを履いた選手たちがグルグルと回りながら、時には激しくぶつかり合い、時には仲間を前へと押し出す。
細かいルールは分からずとも、そのスピード感と格闘技のような激しさに、私たちは釘付けになりました。
日本のエース、”東京ボンバーズ”の小泉選手の颯爽とした姿に憧れた同世代の方も多いのではないでしょうか。
憧れの「四輪」を履いた少年と、一度だけの挑戦
そんな流行をいち早く察知し、すぐに実物を手に入れられる「裕福な家庭」の子供が近所にいました。
昨日まで一緒に泥だらけになって走っていたヤツが、今日はピカピカのローラースケートを履いて現れる。
その「最新兵器」は、子供たちの目にはとてつもなく贅沢なものに映りました。
ある日、一度だけそのローラースケートを借りて滑ってみる機会がありました。
テレビの小泉選手のように風を切る自分を想像して、いざ足を踏み出しましたが……
結果は「すってんころりん」。
無情にも足元はすくわれ、硬いコンクリートの地面に思い切り手をつきました。
手のひらを擦りむいたヒリヒリする痛み。
「テレビではあんなに簡単そうに見えていたのに、こんなに難しいのか……」
私はその一度きりの挑戦で、潔く「見る側の人間」に回ることを決めたのです。

時代と共に変わる「滑る」主役たち
いつしかローラーゲームのブームは去り、時代が平成へと移り変わると、今度はアイドルグループ「光GENJI」がローラースケートを履いて華やかに歌い踊る姿が茶の間を席巻しました。
その後、ブームはスケートボードへと形を変え、今やオリンピック種目にまでなりました。
目まぐるしく変わる流行を眺めながら、私は今でもあの時のコンクリートの感触を思い出します。
転ぶ痛さを知っているからこそ
私は今でも「滑る」ことが苦手です。
それは、転ぶのが怖くて、痛いからです。 大人になれば、擦り傷はすぐに治りますが、あの時少年の心に刻まれた「自分の思い通りにいかない道具への畏怖」は、いまだに消えることがありません。
「なんだかんだ商店」の店主として、私は今日も自分の足で、一歩一歩地面を踏みしめて歩いています。
華麗に滑ることはできなくても、転ばないように、ゆっくりと。
皆さんの膝や手のひらには、どんな「流行の傷跡」が残っていますか?
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