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「どういたしまして」の由来——感謝に込められた“さりげない優しさ”

「どういたしまして」の意味と由来——感謝に込められた日本語の優しさを解説 言葉・慣用句

「ありがとう」と言われたとき、自然と返ってくるのが「どういたしまして」。

でも、よく考えると不思議な言葉です。
「いたす」は「する」の謙譲語。
それに「どう」をつけて、「まして」を加えたこの表現——
いったいどんな経緯で“感謝への返答”になったのでしょうか?

この記事では、「どういたしまして」の語源や使い方、
そして日本語特有の“謙遜の文化”との関係をやさしく解説します。

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「どういたしまして」の意味とは?

「どういたしまして」は、
相手からの感謝に対して、「気にしないでください」「当然のことです」という気持ちを伝える言葉です。

A「手伝ってくれてありがとう」
B「どういたしまして」

このやり取りの中でBが伝えているのは、
「あなたの感謝には及びません」「そんなに気を遣わないでください」という、
相手の恐縮をやわらげるための心遣いです。

つまり、単に「どういたしまして」と言っているのではなく、
「あなたの“ありがとう”を受け取ったうえで、負担を感じなくていいですよ」
という思いやりの返答なのです。

 「いたす」はへりくだる動詞

「いたす」は「する」の謙譲語で、
もともと自分の行為を低く表し、相手を立てるために使う言葉です。

たとえば「お手伝いいたします」「拝見いたします」のように、
自分を下げることで、相手への敬意を示します。

したがって「どういたしまして」は、
“自分がしたこと(いたしたこと)を特別な行為だとは思っていません”
という意味合いになります。

 「どう」は「どのように」の省略

「どう」は「どのように」を表す副詞で、
もとは「どういたしましても(=どのようにいたしましても)」という長い言い回しでした。

「どのようにいたしましても、お礼を言われるほどのことではありません」
という意味が短縮されて、
「どういたしまして」と、今の形に落ち着いたのです。

つまり、この言葉には
“お礼を言われるほどのことではない”という控えめな姿勢が根底にあります。

 英語の “You’re welcome.” との違い

英語の “You’re welcome.” は直訳すると「歓迎します」「どういたしまして」に近いですが、
文化的なニュアンスには違いがあります。

  • “You’re welcome.” は、相手の感謝を快く受け入れる返答。

  • 「どういたしまして」は、相手の感謝をやわらかく受け流す返答。

前者が「あなたの感謝を嬉しく思います」なら、
後者は「そんなに恐縮しないでくださいね」。

つまり、英語が受容の文化であるのに対し、
日本語は謙譲の文化
感謝を受け入れながらも、“距離の近づきすぎ”を避ける優しさが働いています。

 控えめな優しさの表現

「どういたしまして」は、
自分を高く見せず、相手を楽にさせるための言葉です。

その奥には、
「あなたの喜びが私の喜びです」という静かな思いやりが流れています。

つまり、「どういたしまして」は、
“恩を売らず、恩を返させない”という日本人らしい美しい謙遜の表現なのです。

語源:「どういたしまして」の成り立ち

「どういたしまして」という表現は、
実は比較的新しい日本語に属します。
古典文学の中に直接的な用例はあまり見られず、
江戸時代から明治時代にかけて口語の丁寧表現として定着したと考えられています。

 「どういたしましても」が原型

もともとの形は「どう致しましても」。
この「致す」は、動詞「する」の謙譲語で、
「身を低くして行う」「心をこめて行う」という意味を持ちます。

「どう」は「どのように」、
「ましても」は「しても」の丁寧な言い回し。

つまり、もとの意味はこうなります。

「どのように致しましても(=どんなふうに行おうとも)、
お礼を言われるようなことではございません。」

この長い表現が次第に省略されて、
「どういたしまして」となったのです。

 “省略の美”が生んだ柔らかさ

日本語では、文を短く省くことでやわらかい印象を与えることがあります。
たとえば:

  • 「お気になさらないでください」 → 「いえいえ」

  • 「問題ございません」 → 「大丈夫です」

「どういたしまして」も同じく、
「どういたしましても〜」という丁寧な返答の一部を省略したことで、
さらりとした自然な言葉になりました。

この“余白”が、相手に安心感を与える日本語らしいやさしさです。

 明治以降に一般化した言葉

文献をたどると、「どういたしまして」は明治期の会話文などに多く登場します。
文明開化の時代、西洋文化が流入する中で、
感謝への返答として “You’re welcome.” の訳語が必要になったことも、
この言葉の普及を後押ししたと考えられています。

それまでの日本では、
感謝に対して「とんでもない」「いえいえ」「なにをおっしゃいますやら」などの表現が主流でした。
しかし、よりフォーマルで柔らかい響きを持つ「どういたしまして」が登場し、
「ありがとう」に対する標準的な返答として定着していったのです。

 「まして」の語感が持つ“丁寧の階段”

最後の「まして」は、動詞「増す(ます)」に由来する言葉で、
もともとは「一段階上の丁寧さ」「さらに」という意味を持っていました。

「どういたしまして」には、
“へりくだる”だけでなく、“丁寧に包み込む”感覚があるのはそのためです。

つまり、

  • 「いたす」=へりくだる行為

  • 「まして」=さらに丁寧にする
    この2つが合わさって、**「より丁寧に控える」**という美しい構造になっています。

 「感謝のやり取り」から生まれた言葉

「どういたしまして」は、もともと感謝される場面で生まれた言葉です。
つまり、「ありがとう」という言葉が定着した後に登場した“返答語”です。

これは、言葉が人と人との関係性の中で育つことをよく示しています。
感謝を伝える文化が成熟するにつれ、
「それをどう受け取るか」という日本語特有の感性が、
「どういたしまして」という返し方を生み出したのです。


要するに、「どういたしまして」は、
「どのようにいたしましても(=どんなにしても)」という謙譲の表現から、
感謝をやわらかく受け流す思いやりの言葉へと変化したもの。

“行為を誇らず、相手を安心させる”という日本語の精神が、
この一言の中に凝縮されているのです。

日本語らしい「謙遜の美学」

「どういたしまして」という言葉には、
日本語が大切にしてきた“謙遜”と“思いやり”の精神が息づいています。

この表現は、相手の感謝を受け入れながらも、自分の行為を誇らず、さりげなく距離を保つことで、お互いが気持ちよくやりとりできるようにするための言葉のクッションです。

 「ありがとう」よりも一歩引く姿勢

「どういたしまして」を使うとき、
人は無意識のうちに“自分を少し引く”という動作をしています。

「そんな、気にしないでください」
「たいしたことではありませんよ」

このように、感謝を受け取る側が一歩下がることで、相手を立てる
それが日本語の「謙譲」の基本です。

つまり、「どういたしまして」は、「ありがとう」という“前に出る言葉”に対して、
“後ろに下がる言葉”としてバランスを取っているのです。

 感謝を“受け流す”ことで関係を和らげる

英語の “You’re welcome.” は、
感謝を堂々と受け止め、「喜んでお手伝いしました」という積極的な表現です。

一方で、「どういたしまして」は、感謝を“受け止めすぎない”ための言葉です。

相手が「助かりました」と恐縮しているとき、「どういたしまして」と返すことで、
「そんなに負担に感じなくていいですよ」と心理的な負担をやわらげる

この“やわらかい拒み”こそが、日本語の優しさ。
直接的な肯定よりも、相手を気づかう沈黙の一歩に美学があるのです。

 「恩を売らない」文化

日本語の謙譲表現の根底には、“恩を押しつけない”“恩を売らない”という独特の価値観があります。

誰かに親切をしても、「どういたしまして」と軽く流すことで、相手が「借りを返さなきゃ」と感じないようにする。
それは、相手を気づかうと同時に、自分も気楽でいるための知恵です。

このように、「どういたしまして」は相手と自分の間に余白を生むことで、関係をやわらかく、長く続けるための“潤滑油”のような言葉なのです。

 「お互いさま」という思想

日本語の謙遜文化の根底にあるのが、「お互いさま」という考え方です。

「助けた・助けられた」という関係ではなく、「困ったときはお互いさま」という対等な関係性を保つ。

「どういたしまして」もまた、その延長線上にあります。
「こちらこそ気にしないでください」「次はあなたを助けたい」——
そんな穏やかな循環の気持ちを生む言葉です。

 言葉の奥にある“静かな優しさ”

日本語の丁寧さは、相手を包み込むような静けさにあります。
「どういたしまして」と声に出すときのトーンも、強調ではなく、軽やかで柔らかい。

それはまるで、「あなたの感謝はもう十分伝わりましたよ」と
優しく受け止めながら、そっと風に流す仕草のようです。

つまり、「どういたしまして」は、言葉の中に“思いやりの沈黙”がある表現。
感謝を受け取りながらも、相手に気負わせない美しさが宿っています。


「どういたしまして」は、自分を低く見せるための言葉ではなく、
相手の心を軽くするための言葉なのです。

その謙虚さは、日本語が育んできた“調和の美学”そのもの。
言葉を通じて人と人の間にやさしい距離をつくる——
それが「どういたしまして」に込められた、日本人らしい礼のかたちです。

まとめ:「言葉の奥にある、やさしい余白」

「どういたしまして」は、ただの返事ではなく、相手の心をそっと包むための言葉です。

感謝を受け止めながらも、「気にしないでください」とやわらかく返す。
そこには、相手に負担をかけず、自分も控えめであろうとする日本人の美意識がにじんでいます。

私たちはつい「ありがとう」に気持ちを込めようとしますが、その言葉を受け取る側の「どういたしまして」にも、実は同じだけの思いやりが込められています。

恩を押しつけず、功績を誇らず、ただ自然に助け合う——その関係の中にある“お互いさま”の温度。

それこそが、「どういたしまして」という言葉が今も私たちの暮らしの中で愛され続ける理由なのかもしれません。

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