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「不徳の致すところ」とは?—謝罪の場面で使われる“重い言葉”の意味と使い方

言葉・慣用句

選挙戦が終わった直後、候補者の口からよく聞かれるのが「すべては私の不徳の致すところです」という言葉。敗北の責任を自らに引き受ける、いわば“潔い反省”の決まり文句のように聞こえるかもしれません。

しかしこの「不徳の致すところ」という表現、本当のところどんな意味なのでしょうか? どこか重々しく、かしこまった響きのあるこの言葉には、単なる「申し訳ない」以上の深いニュアンスが隠されています。

本記事では、その意味や使い方、背景にある考え方について、日常でも使えるように丁寧に解説していきます。

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「不徳の致すところ」って、どういう意味?

「不徳の致すところ(ふとくのいたすところ)」とは、自分の人格・能力の不足や未熟さが原因で問題や迷惑を引き起こしてしまったことを指す、日本語独特の丁寧で重い言い回しです。

  • 「不徳」=徳がない、品性や人格の未熟さ

  • 「致す」=(へりくだって)する、招く

  • 「ところ」=事柄や状態

つまり、「自分の徳が足りないがゆえに起きたことです」という、強い自己責任の意識を含む表現です。

主に使われる場面とは?

この言葉が使われるのは、主に以下のような場面です:

  • 公的な謝罪や会見(政治家・著名人など)

  • 社内での不祥事やトラブル報告

  • 個人的な過ちの謝罪(特に年配の方の手紙やメールなど)

例文で見ると、よりイメージしやすくなります。

例1:政治家の辞任会見で

「このたびの一連の不始末は、すべて私の不徳の致すところでございます。」

例2:企業の謝罪文で

「多大なるご迷惑をおかけしたこと、誠に申し訳なく、すべては私の不徳の致すところと深く反省しております。」

例3:手紙での謝罪

「先日の無礼な振る舞い、誠に不徳の致すところであり、深くお詫び申し上げます。」

「不徳の致すところ」は“反省”以上に“責任”を込める言葉

この言葉の重さは、「謝って済む話ではない」という強い責任意識にあります。

ただ「すみませんでした」と言うのではなく、「すべての原因は私にあります」と言い切ることで、相手の怒りや不信感を少しでも和らげようとする意図が感じられます。

また、「不徳」という言葉を用いることで、自分の人格的未熟さを認める姿勢が伝わりやすく、特に年上の人や上司・顧客に対して深い謝意を表すには適した表現といえます。

ただし、日常会話では“使いどころ”に注意!

いくら丁寧でも、「不徳の致すところ」はかなりかたい表現です。日常会話で使うと、かえって「かしこまりすぎ」「大げさ」に聞こえることがあります。

たとえば、友人とのちょっとした失言や遅刻で「それは不徳の致すところで…」などと使うと、冗談っぽく取られたり、相手が困惑してしまうかもしれません。

逆に、以下のような言い換えのほうが場に合っていることもあります:

  • 「不手際でした」:具体的なミスを認めるとき

  • 「私の落ち度です」:責任を明確にするとき

  • 「申し訳ありません」:丁寧な謝罪全般

 

「不徳」とは具体的にどんな“徳”のこと?

「徳」とは、人として備えているべき品格や道徳、思いやり、節度といった要素です。

「不徳」という言葉には、たとえば以下のような未熟さや至らなさを含意します:

  • 感情をうまくコントロールできない

  • 人としての礼儀や節度を欠く

  • 約束を守れない、責任を果たせない

  • 相手への思いやりが足りない

つまり、「不徳の致すところ」と言うときは、自分が社会人・人間として至らなかった点を幅広く含めて謝罪していることになります。

ビジネスメールでも使える?

メールや文書では、以下のように書くと自然です:

このたびのご迷惑は、まさしく私の不徳の致すところでございます。深く反省し、再発防止に努めてまいります。

ただし、やや古風で堅苦しい印象もあるため、社風や相手の年齢によっては「不手際」や「配慮が足りませんでした」に言い換えるのも良い選択です。

「不徳の致すところ」は自分の言葉として使えるか

この言葉を自分のものとして使えるかどうかは、「どれだけ責任を引き受ける覚悟があるか」によります。

安易に使うと「形式的な謝罪」に聞こえますが、心からの反省とあわせて使えば、非常に重みのある謝罪となります。

まとめ

「不徳の致すところ」は、自分の徳や人間としての未熟さを理由に、謝罪や反省の気持ちを丁寧に表す言葉です。

選挙後の敗戦コメントや、公的な不祥事の会見などで使われることが多く、特に政治やビジネスの場では、相手への敬意と自己責任の姿勢を同時に伝える表現として重宝されています。

ただし、日常会話で使うとやや大げさに聞こえることもあるため、使う場面には注意が必要です。とはいえ、真摯な態度や謙虚な気持ちを言葉で示したいときには、非常に有効で品のあるフレーズだといえるでしょう。

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