誰にでもある「猫に小判」な瞬間
「猫に小判」ということわざを聞くと、なんだか相手を馬鹿にしているような、少しトゲのある印象を受けるかもしれません。
でも、よく考えてみてください。
私たち人間だって、興味のない分野の高級品を渡されたら、それはもう立派な「猫」状態ではないでしょうか。
今回は、この有名なことわざを、少し視点を変えて紐解いてみます。
そもそも、小判は「煮干し」に勝てない
「猫に小判」とは、どんなに価値のあるものを与えても、本人にその価値がわからなければ何の役にも立たない、という意味です。
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例文:
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最新の超高性能パソコンをプレゼントしたが、ネットサーフィンしかしない私には猫に小判だった。
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音楽に興味がない人に数千万円のバイオリンを贈るのは、まさに猫に小判だ。
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ここで面白いのは、猫が悪いわけではないということです。
猫にとっては、キラキラ光るだけの硬い金属(小判)よりも、今すぐ食べられる「煮干し」や、カサカサ動く「猫じゃらし」の方が、何万倍も価値があるのです。

高級スポーツカーより、今の私は「自転車」がいい
私自身の話をすれば、若い頃に喉から手が出るほど欲しかったのは、黒光りするの高級スポーツカー(トヨタのセリカXXダブルエックス)でした。(笑)
あの加速、あのスタイル……。
けれど今の私にとっては、高級車はまさに「猫に小判」です。
所有している間の維持コストや、ぶつけた時のリスク、盗難の心配。そんな「小判の重み」を背負うよりは、今の健康を支えてくれる「自転車」の方が、よほど価値のある「煮干し」に思えます。
あ、念のために言っておきますが、セニアカーにはまだちょっと早いですよ!(笑)
自分の足でペダルを漕いで、季節の匂いを感じる。
そんな「身の丈に合った豊かさ」こそが、今の私にとっての正解なのです。
まとめ:自分だけの「価値」を大切に
「猫に小判」という言葉は、相手を嘲るための言葉ではなく、「人にはそれぞれの価値観がある」ということを教えてくれる言葉です。
「いい加減(好い加減)」なところで世間の物差しと折り合いをつけ、自分にとって本当に価値のあるものを愛でる。 誰かに「もったいない」と言われても、自分が満足しているならそれでいい。
小判は招き猫に任せて、私は今日も私なりの「煮干し」を楽しみたいと思います。

