「得てして世の中というものは――」
こんな言い回し、どこかで聞いたことはありませんか?
でも正直なところ、日常会話ではあまり使わない言葉ですよね。
むしろ、
- 先生
- 評論家
- 学者さん
- 年配の知識人
そんな“少し高い場所”から語る人が使う印象があります。
私自身、「得てして」という言葉を聞くと、どこか説教っぽさというか、“人生論の香り”を感じます(笑)。
ですが、この言葉の意味をよく見ていくと、実はかなり人間くさい言葉なのです。
今回は、「得てして」の意味や語源、「往々にして」との違い、そしてなぜ少し“お偉い感じ”がするのかについて掘り下げてみたいと思います。
「得てして」の意味とは?
「得てして(えてして)」とは、簡単に言えば、
「自然とそうなりがちである」
という意味です。
つまり、本人が望んでいるわけではないのに、なぜかそういう結果になりやすい。
そんな“人間の傾向”を語る時に使われます。
たとえば、
「人は得てして、自分に都合の良い情報だけを信じたがる」
こんな感じですね。
ここには、
- ありがち
- そういうものだ
- 人間とはそういうものだ
という、“少し達観した視点”があります。
なぜ「得てして」は少し“お偉い感じ”がするのか
これ、たぶん多くの人が感じていると思います。
「得てして」って、なんだか上から目線っぽい(笑)。
なぜそう感じるのでしょうか。
私は、この言葉が
“個人の話”ではなく、“世の中全体の傾向”を語る時に使われるから
だと思うのです。
つまり、「私はこう思う」ではなく、
「人間とは得てしてこういうものだ」
と、一段高い場所から全体を見渡している感じがある。
だから、学者さんや先生の話し方っぽく聞こえるのでしょう。
「得てして」は、少し“人生を知った人”の言葉
さらに、「得てして」には独特の“諦め”や“経験則”があります。
たとえば、
「人は得てして、失ってから大切さに気づく」
こういう言い回し。
若い人より、人生経験を積んだ人の方が似合う気がしませんか?
これは、「得てして」が単なる説明ではなく、
“長年見てきた人の実感”
を含む言葉だからだと思います。
つまり、「あるある」よりもっと重い。
「まあ、人間ってそうなっちゃうんだよね……」
という、少し苦笑い混じりの達観があるのです。
「得てして」はネガティブな場面が多い?
「得てして」は、多くの場合、少しネガティブな文脈で使われます。
たとえば、
- 人は得てして油断する
- 人気店ほど得てして接客が雑になる
- 忙しい時ほど得てして忘れ物をする
こんな感じですね。
逆に、
「得てして努力は報われる」
と言うと、少し不自然です。
なぜかというと、「得てして」には、
“人間の弱さや不完全さ”
を語るニュアンスが強いからです。
だからこそ、どこか人生訓っぽく聞こえるのでしょう。
「往々にして」との違いは?
似た言葉に「往々にして(おうおうにして)」があります。
意味はかなり近いのですが、実は少し違います。
得てして
→ 人間の性質や流れとして、自然とそうなりやすい。
往々にして
→ そういうことが頻繁に起こる。
つまり、「往々にして」の方が、少し客観的です。
一方「得てして」には、
“人間ってそういうものだよね”
という感情や実感が混ざっています。
語源を辿ると、「そうなりがち」という意味だった
「得てして」の「得」は、「得る(える)」の古い形です。
昔の日本語では、「得(う)」には、
「そうなりやすい」
という意味がありました。
つまり「得てして」は、もともと、
“自然とそういう状態を得てしまう”
という感覚だったのです。
これを知ると、「わざとじゃないのに、なぜかそうなる」というニュアンスがよくわかりますね。
現代では、少し“古風な知的表現”になった
今の若い世代は、日常会話で「得てして」を使うことはかなり少ない気がします。
代わりに、
- ありがち
- だいたいそう
- そういうもん
こうした表現の方が自然でしょう。
つまり「得てして」は、現代では少し“文章語”になっているのです。
だからこそ、ニュース解説や評論、先生の話などで聞くと、妙に知的で“お偉い感じ”がするのかもしれません。
「得てして」は、人間観察の言葉なのかもしれない
私は、「得てして」という言葉には、人間観察の匂いがあると思っています。
長く生きていると、
- 人は同じ失敗を繰り返す
- 忙しい時ほどミスをする
- 調子が良い時ほど油断する
そんな場面を何度も見ます。
そして、つい言いたくなる。
「人は得てして、そういうものだ」
これは、諦めというより、“苦笑いを含んだ理解”なのかもしれません。
まとめ:「得てして」は、“人間とはそういうものだ”を語る言葉
「得てして」とは、単なる「よくある」という意味ではありません。
そこには、
- 自然とそうなりがち
- 人間の性質
- 経験則
- 少しの諦め
まで含まれています。
だからこそ、この言葉にはどこか“大人っぽさ”がある。
若者言葉の「あるある」より、もう少し人生経験をくぐり抜けた響きがあるのです。
そしてきっと、人は年齢を重ねるほど、こういう言葉を自然に使うようになるのでしょう。
……得てして、人間とはそういうものなのかもしれませんね(笑)。

