昔の「ヤバい」は、本当に「危ない」時だけだった
最近、街を歩いていると「これ、ヤバいね!」という声をよく耳にします。
美味しいものを食べた時、綺麗な景色を見た時、あるいは格好いい車を見かけた時。今の若い人たちにとって「ヤバい」は、最高の褒め言葉のようですね。

でも、私のような昭和世代からすると、本来「ヤバい」という言葉は、もっとヒリヒリした状況で使うものでした。
例えば、営業で自動車の運転をしている時など。
急カーブでハンドルを取られそうになった瞬間や、雪道でスリップしたとき、思わず口をついて出る「あ、ヤバい!」。
これはまさに、身の危険を感じた時の本音です。
「ヤバい」の守備範囲が広すぎませんか?
今の「ヤバい」は、危険から感動まで、あらゆる感情を飲み込んでしまう便利な言葉になりました。
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驚いた時: 「ヤバッ!どうなるんだろう?」
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感動した時: 「ヤバい美味しさ」「ヤバい景色だ」
誇張して感情を伝えるという意味では、「死ぬほど」の意味と使われ方の変化にも通じるところがありますね。
さらに、「アツい」の意味と使い方の変化を見てもわかる通り、言葉は時代とともに、より強い感情を乗せる形へと進化(あるいは退化?)していくようです。
由来を辿れば、さらに「ヤバい」
この「ヤバい」という言葉、一体どこから来たのでしょうか。
諸説ありますが、1990年代の漫才ブームやテレビ番組がきっかけで、若者の間に爆発的に広まったと言われています。
さらに遡れば、江戸時代の牢屋(ろうや)を指す隠語だったという説もあります。
「役場(ヤクバ)」が転じて「ヤバ」になり、そこへ行くような「危ない状況」を指したというのです。
もしそれが本当なら、今の若者がケーキを食べて「ヤバい!」と言っているのを江戸時代の人が聞いたら、腰を抜かすかもしれませんね。
似たように、時代とともにニュアンスが広がった例としては、「ウザい」の意味と使い方の変化も、比較してみると面白いですよ。
店主の独り言:言葉を「履き替える」ように
他の記事で「ウォーキング」と「散歩」という言葉を履き替えるお話をしましたが、

「ヤバい」という言葉も、使い分けが面白い言葉です。
大人の私たちが「マジでヤバいっす!」と若者風に言うのは少し照れくさいですが、たまにはその「ヤバい」という言葉の勢いに乗っかって、心を若返らせてみるのもアリかもしれません。
大切なのは、言葉の裏側にある「自分の心がどう動いたか」を見つめること。 便利な「ヤバい」に頼りすぎず、時にはもっと豊かな言葉を探してみたい……。
そう思うのは、私が少し「お節介」すぎるからでしょうか。

